ちょっと前にこんなことを呟きまして。
「ストリート」な感覚でゴルフしたいんだよな。それが何を指すのか,自分でもまだよくイメージできていないけど。
— LINKSLOVER MAX 90 G (@Linkslover103) 2021年12月14日
たとえば,ニッカーボッカーズを履いてヒッコリーシャフトのクラブでゴルフするようなスタイル,その価値観は分かるんだけど,それは自分がやりたいスタイルじゃない。
— LINKSLOVER MAX 90 G (@Linkslover103) 2021年12月14日
スターバックスなんかのシアトル系コーヒーが喫茶店文化を変えたような,あえて喩えるならそういうイメージ。
— LINKSLOVER MAX 90 G (@Linkslover103) 2021年12月14日
何言ってるか自分でもよく分からないし,自分が何を目指しているのかいまだによく分からないけれど,たぶんきっと,ゴルフによくある〈何か〉が嫌なんだ。
その〈何か〉をあえて言語化してみると……
- 〈日常〉からの乖離:物理的にも精神的にも。そもそもゴルフコースという場所が自宅から遠いとか,あるいは普段なら着ないような服をゴルフコースでなら着ちゃうとか。
- テクニカルな言説と,それに伴う党派性:棒を振り回して球を打ってその球を穴に入れるだけなのに,やれ〈本質〉だ,やれ〈理屈〉だ,やれ〈理論〉だ……。さらに狭い井戸の中で蛙同士が否定しあったりディスりあったり。
- 古臭さ:ゴルファーの高齢化に関してはひとのこと言えないですけどね……。あと,日本文化の嫌なところを煮詰めたような〈倶楽部〉という存在(あるいは表記法)。
だからこないだのクラチャン様*1のような人は自分にとって最も唾棄すべき距離をとりたいタイプの人物なわけで……。いずれにしろ,とにかく〈軽やか〉にゴルフしたいんですよ。家の近所のカフェに友達と集まってお茶しながら駄弁るみたいなノリで。それを今,〈ストリート感〉という言葉で表現している。
『1995年のエアマックス』の著者いわく、「多くのサブカルチャーが結びつき、編集されたことで生まれるミックスカルチャー」で定義されるのが「ストリート」。
— LINKSLOVER MAX 90 G (@Linkslover103) 2021年12月18日
ゴルフ自体がさまざまな要素(スイングなりコースなり道具なりウェアなり)がミックスされてるけど、そこに「サブカルチャー」っぽい軽さが欲しいんだよね。
— LINKSLOVER MAX 90 G (@Linkslover103) 2021年12月18日
で,自分なりに〈ストリート感〉という言葉にしっかりと肉づけをしたくて,こんな本を読んでみた。
そしたら思ってたのと全然違ってた内容だったんですけど,それはいいとして,苦笑しちゃったのがこれ。
ここで私の言う「ストリートの思想」と最初に区別すべきなのは,広告やメディアが振りまいている一見「ストリート的」なイメージだ。ナイキからA BATHING APEまで,一般に「ストリート的」と思われているものの多くは,ビジネスである。つまり,アメリカのアフリカ系アメリカ人の若者文化からパンクやアナキストの文化までの――あるいは貧困さえも――さまざまな先鋭的文化を商品化することでビジネスを成立させている。けれども,それはあくまで「ストリート的」なイメージにすぎない。〔太字部分は原著では傍点〕
確かにね。でも開き直って考えてみると,自分が好きなのは,そのイメージとしてのストリート感なんだと思う。だってもうゴルフっていうスポーツが――特に日本だと――〈自然〉というイメージを借りた遊園地でしかないんだから。ナイキのやっていることが文化の盗用(Cultural Appropriation)に近いとすれば,冒頭のツイートの中で触れたスターバックスもそれに近いですよね。
まぁいずれにしろ,自分がゴルフに求めているのは〈軽やかさ〉。さらっと,スマートに,カジュアルに,気楽に,気さくに。そんな感じ。あとあれだ。道具にこだわりがなくはないんだけど,「日本の職人がどうたら」ってよりは,「PGAツアーで誰が使ってる」とかそういう〈ストーリー性〉の方が好き。まぁ表層的なんですよ,自分という人間は。
そういえば,Prestwickで2回目にラウンドしたとき*2。後ろの組がアメリカ人の4人組で,音楽流しながらプレーしてたんですよ。そのときはイラっとしたんだけど,今ならその気持ちが理解できる。
自分の目指す〈軽やかさ〉のイメージは,Gilles Peterson の〈BritFunk Mix〉。
あとあれだ。自分が〈軽やかさ〉というキーワードに出会ったのは,『カルヴィーノの文学講義』を読んだときだった。
前にこんなことを書いてた。これに通じるものが,あるようなないような。