Linkslover

ぜんぜんわからない 俺たちは雰囲気でゴルフをやっている

設計家マーティン・イーバート|Top 100 Golf Courses of the World

1年半前に訳すべきだった……。

全英好きな人なら Martin Ebert の名前をご存知だと思うんですけど,要するに開催コースの改装をことごとく手掛けている人ですね,その人の評伝。去年の全英開催コースである,ポートラッシュの話を中心に。

ポートラッシュはねぇ,僕がプレーしたときにまさに全英開催に向けての工事をやってて,そういう意味で思い入れが強いんですよ。*1

セベ・バレステロスとの関係なんて全然知らなかったし,やっぱこの熱意だよなー。

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Royal Portrush

Golf Courses - Today's Golfer by Nick Wright, 13 July 2019

拙訳

In search of Perfection

R&Aがクラシックコースを全英オープンの開催に適したコースにする必要がある場合,しばしマーティン・イーバートに連絡が入る。ロイヤル・ポートラッシュの準備のために何をしてきたのか,そしてそもそもここまでに至る道のりを,イーバートがピーター・マスターズに語ってくれた。 *2

ふたつの新しいホール,新しいティー,新しいバンカー,ルート変更,いくつかのグリーンの改造,そしてウォーターハザードの提案まで,ロイヤル・ポートラッシュは第130回全英オープンに向けて再構築され,活性化され,活気づいている。このような作戦を成功させるために必要な勇気・経験・理解を持っているゴルフコース設計者は,おそらく片手の指に数えられるだろう。このような評判と名声と実績のあるコースに到着し,スカートをふくらませるだけでなく,ペチコートをいじったり,ティアラをデザインし直したりすることは,並外れた早熟さと言えるかもしれない。このようなことを実現するには,安定してかつ勇敢な手と,以前にも同じような手先の器用な挑戦をしたことのある人の手が必要なのだ。 ドナルド・トランプが最も記憶に残っている「今まで会った中で最も頑固な男」と評した男,またの名をマーティン・イーバート,あるいはR&Aが全英オープン関連のリノベーションを行なう際に最も頼りになる男として知られている男を紹介する。 *3

そう,「R&Aが最も頼りにする」といのは,もしかしたら少し不正確かもしれない。というのも,イーバートを呼ぶのはR&Aではなく,クラブだからだ。しかし,彼の会社であるマッケンジー&イーバートは,リンクスコースのマスターとしての評判を築いてきた。現在では,セント・ジョージズ,トゥルーン,ホイレイク,リザム,カーヌスティー,そしてもちろんターンベリーを含む全英ロータの7つのコースで仕事をしており,ターンベリーは前述のトランプとともにユーティリティーウッドを交差させ,その成果を存分に発揮している。しかし現在脚光を浴びているのはポートラッシュ,そして避けて通れないダンルースコースの美しさであり,フォックスヒルズのウェイターから世界的に有名な建築家,デザイナーへと飛躍したイーバートのゴルフ業界での活躍に関しては,ここから話を始めるべきだろう。 *4

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Recreating Colt’s classic

1951年にハーバート・グスタフス・マックス・フォークナーが優勝して以来,初めてポートラッシュに全英オープンを持っていくことをR&Aが決定したとき,明確だったのは,17ホールと18ホールの上にテント村を建てなければならないことだった。「多くの人のあいだでは,このコースは本当に16番で終わってしまうのではないかという意見があったし,最後の2ホールは非常にウィークだ意見もあった」と,今のイーバートは語る。 *5

注目が集まったのは,同クラブのバレーコース。その砂丘から新しいホールをふたつ削り出し,現在の7番と8番が作られた。「このような思い切った変更が必要だとクラブを説得しなければならなかったが,それはクラブが当然ながら,ハリーコルトの伝統を誇りに思っているからだ」。 *6

1932年にコルトがダンルースの最終設計を行って以来,すでに変更が行なわれていたことを示す証拠が必要だった。その証拠は,オリジナルのクラブハウスが1,200ヤード離れたところに位置していたので,今日のようなクラブハウスの建設で発見されました。オリジナルのクラブハウスとコースの残りの部分を結ぶコルトの1番ホールと18番ホールは,長い間失われていたが,その代替案を作成したのは,当時のクラブプロ,P.G.スティーブンソンだった。 *7

彼が直接関与していないものの,コルトは祝福を与え,スティーブンソンのクリエイティビティーが8番と9番ホールになったが,イーバートの最新のリノベーションによってそれらが10番と11番になるまで,つまり来月の全英オープンまでは,そのようにプレーされている。変更は広範囲に及んでいるが,パー3ホールはほとんど手付かずのままだ。「興味深いのは,有名なカラミティホールにバックティーを追加した以外には,どのパー3ホールにも大きな変更がなかったことです」と,イーバートは言う。「例外なく,すべてのホールが時の試練に耐えてきた」。他のすべてのホールで調整が行われているが,コルトの哲学に忠実であることに変わりはない。「ポートラッシュで彼はバンカーを使うのととても控えた」とイーバートは言う。「地形の性質とラフのペナルティがあるので,バンカーに過度に頼る必要はなかっただろう。プレーのレベルが年々上がってきているのは間違いないが,まだ59個に頼っているだけだ。新しいバンカーの数と撤去されたバンカーの数とが打ち消し合うかたちで。これは他のどの全英オープン会場よりもはるかに少ない。ターンベリーが最も近くて87個のバンカーで,大多数の会場は約100個,ミュアフィールドは150個以上,ロイヤル・リザムは前回のオープン時には203個ものバンカーに頼っていたよ!」 *8

ポートラッシュのパー5ホールには,特別な注意を払う必要があった。その挑戦が現代でも通用することを確かにするために。最も大きな変更点は,2番ホールが長くなったことだが,11番ホール(旧9番)は,これまでパー5としてプレーされていたが,全英ではパー4としてプレーされることになった。12番ホール(旧10番)は,エリートプレーヤーのためにティーが前のグリーンの左に配置された。古い17番ホールは新しい7番ホールに置き換えられ,恐るべき「ビッグネリー」バンカーが再現されている。ダンルースコースはトータル7,344ヤードとなり,従来の7,143ヤードから201ヤード伸びている。 *9

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A beneficial push

ポートラッシュのようなプロジェクトは,常にイーバートのやり方になる。なぜなら,過去に彼がコースのアドバイスをしたことがあったから。しかしターンベリーは別の話で,ここではR&Aのおかげで彼の名前がリストのトップに押し上げられた。それはこんな話の流れだった。ドナルド・トランプは,スコットランドのリンクスの中でも象徴的なこのコースを購入しようとしていて,大規模な改修を行なうために彼自身の建築家を手配していた。しかし,当時のR&Aのセクレタリーであるピーター・ドーソンは,将来のアメリカ大統領に「このコースでの経験があるから,イーバートに目を向けた方がいい」とアドバイスしたのだ。 *10

「ピータから電話がかかってきて,トランプに連絡しろというんだ」と,イーバートは説明する。「そのときすごい二日酔いだったんだけど,電話して,そしたら会議中だから少し待ってくれと言われたんだ。だけど彼はすぐに電話に出て,それで10分ほど話した。彼がドーソンとR&Aとを尊敬していることは明らかだった。彼は私に話をさせてくれて,そしてかれは(自分のコースで)全英オープンを開催したいと言って,それで私たちは会うことにしたんだ」。その会合はターンベリーで行なわれ,そこに着いたイーバートはコースに出て見て回ることにした。彼が知らなかったのは,トランプもまたバギーに乗った側近に囲まれて一緒に来たことだった。「彼らは砂丘の周りから現れたけど,『まだ彼に会う準備ができていない』と思ったので,ゴースの茂みの後ろに隠れたんだ」。 *11

下草の中でうずくまっているかの男を捕まえていたら,トランプは何を考えていただろうかと思うと身震いするが,しかし億万長者のビジネスマンも,彼のボディーガードの誰も,気づかなかった。「その夜の夕食の間,私は彼の隣に座るように案内され,その夜はゴルフの話をしたり,ターンベリーを今以上に発展させるにはどうしたらいいかについて考えを巡らせたりして過ごしたんだ。次の日,彼はただ『取引をしよう』と言っただけだった」。 *12

イーバートが頑固者であるという評判を得たのは,その時だ。「彼は9番を海越えのパー3にしたいと言いはじめたんだ。私はキャリーが大きすぎると思っていたので消極的だったが,彼は頑固で,今思えば彼の言う通りだったと思うよ。みんなはパー3のことをよく覚えていると,彼は感じていたんだ」。しかし別のケースでは,トランプは最終的に14番グリーンの位置に同意した。彼はそれを以前9番があった丘の上に移動させたかったのだが,風が強すぎてグリーン上でのボールが動くことが懸念されたのだ。「今回はグリーンをもっと下に置くべきだと固辞したんだ。彼の秘書に計画書を送ったんだけど,そのたびに黒い矢印と線で囲まれた図面が返ってきたんだ。しかし私は引き下がらず,トランプは諦めたんだが,それは私が頑固だというセリフを口にしたあとだったよ」。 *13

「彼は今でも6番グリーンの位置が悪いと言っているが,私はあのホールを『(トゥルーンの)ポステージスタンプ』のように短くして,18番のティーで海岸線に下げるようにしたかったんだ」。ふたりは現在も連絡を取り合っており,トランプがイーバートに連絡を取ったのはつい先日のこと。「マーティン,ポートラッシュはあなたが手がけた中で最高のリンクスだと聞いたが?」「いいえ,トランプさん。ポートラッシュは最高の砂丘だと言いましたが,ターンベリーは最も荘厳な設定です」。 *14

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The waiting game

観察力のあるなら,前述のフォックスヒルズでウェイターとして働いていたということを覚えているだろうし,このような運勢の変化がどのようにして起こったのか疑問に思うかもしれない。実は当時,マーティン・イーバートという名前には,会計士という冠がついていたのだ。ミドルセックスのスタンウェル周辺で育ったイーバートは,ケンブリッジ大学で工学を学び,ロイヤル・ワーリントン周辺で70台半ばのスコアを出すように,ゴルフにも秀でていたのだ。マーティンがゴルフにハマっていくにつれて,エンジニアリングの選択肢は次第に薄れていき,国内最高のコースで開催される大学の試合にも出るようになった。 *15

チームは1989年にアメリカへの旅行を企画し,メリオン,パインバレー,シネコックヒルズ,そしてアメリカの聖杯に名を連ねる他の伝説的なコースでプレーした。イーバートが戻ってきたとき,彼は興奮していた。ゴルフでなきゃいけない,と彼は思った。それは彼が会計士として業界入りしなければいけななかったとしても。「私は仕事を求めてすべての人に手紙を書いた。IMG,ピーター・アリス,キース・プラウズ,とかね。みんなに。ほとんど成功しなかったけど」。彼は若かりしころの高揚感に満ち溢れ,フォックスヒルズにやってきて,自分で作成したケンブリッジUSツアーのパンフレットを手にして現れた。「もちろん,ウェイターから始めればいいんだ!」最初の朝,ランチルームで孤独に座っていたエバートは,自分がとんでもない間違いを犯していることに気付いた。彼はウェイターには向いていなかったのだ。さらに悪いことに,彼はすでにゴテゴテしたパンフレットを持ったケンブリッジのお坊ちゃんとしてからかわれていたのだ。 *16

そこへスペイン人女性がふたり入ってきた。革のジャケットに身を包んだ上品で洗練されたスタイルの彼女たち。彼女たちは休暇中のウェイトレスだったが,新しい男の子に挨拶しに来たのだという。「話をしてると,彼女たちは北スペインのサンタンデール出身だと言うんだ。えー? 僕のヒーローのセベ・バレステロスが住んでいるペドレーナの近くだね」「うん,彼を知ってるよ。彼のグリーンジャケットを着てみたことがあるよ」という返事が返ってきた。 *17

1990年の新年に話を飛ばして,イーバートは今やガールフレンドとなったアナ・アロンソ(そのウェイトレスのひとり)と一緒にスペインの家にいたが,そこにマヌエル・バレステロスが現れた。彼らはおしゃべりをはじめ,セベの兄弟がマーティンを,明日ペドレーナでプレーしようと誘った。「私は黒の時計にタータンチェックの膝下ショートパンツを身に着けていたので,ただの酔っぱらいにしか見えなかったと思うよ。マヌエルが1番でバーディーをとり,私はそれに耐えてラウンドしていた。7番に着くと,ジーンズとポロシャツを着た見覚えのある人が歩いてくるのが見えた。それはセベで,女の子たちと話に出てきてたのだ。彼が私を見ているのを感じられ,それでいっぱいいっぱいになったんだ。それでものすごいダックフックを打ってね,彼の頭を撃ち抜くところだったよ」。アナはマドリードで法律の勉強をしていたが,試験に落ちてしまい,英語を学ぶためにイギリスにいたのだ。エバートはフォックスヒルズでの仕事を辞め,その後スーパーで夜の棚係として働いた。「夜勤にはとても奇妙なキャラの人がいたんだ」と彼は回想する。「夕食に1リットルパックのバニラアイスを食べていたベテラン船長とかね」。 *18

そのイースターの日,イーバートはマヌエルにセベのデザイン会社であるアーメン・コーナーでの仕事を探せないか尋ねたが,農学などの異なる資格が必要であることを丁寧に告げられた。しかしスペイン人のコネは,悪いことばかりではなかった。アナはのちに司法試験に合格し,最終的にはエバート夫人になったのだから。ゴルフ界への入口は,最終的には大学時代の友人アンディ・マッケンジーを介して訪れた。その兄弟のトムが,コース設計家でありそれまではテレグラフ紙のゴルフ担当記者だったドナルド・スティールの下で働いていたのだ。 *19

「ドナルドとの面接があって,彼が作家であることを知っていたので,それが本に関係する何かのためのものであることを十分に予想していました」と彼は言う。賢明にも,イーバートはウォーリントンの9番ホールの修正案を持って行き,その結果,設計の世界でのキャリアを得ることになった。 *20

それは見習いのようなものから始まったが,すぐに3人の強力なチームへと発展し,スティールが先頭に立って最戦前で働き,より詳細な設計作業を若手に任せた。彼は地図やプランを描くことはほとんどなく,開発者や建設業者と一緒に現場で仕事をすることを好んでいた。これはトムとは対照的で,彼の巧みなスケッチは他のふたりにはないものだった。「彼のデッサンの質の高さには,私の心を揺さぶられました」とエバートは回想する。「私にはできなかったけど,等高線図は描けたんだ。トムは私をコピーしてくれて,それが今の私たちが使っているものなんだ」。 *21

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Pieces of a puzzle

初期のプロジェクトのひとつは,ニューヨーク州のキャッツキル山地にある約4000エーカーの敷地だった。彼らはその場所を見たことがなかったが,週末に岩の上を登ったり川を渡ったりしたあと,最初の計画を考え出し,土地の所有者に受け入れられた。 *22

「面白かったね,リース・ジョーンズや,ビル・クーアとベン・クレンショーのコンビと対戦していたので。クアが出ていることは知っていたので,次の訪問時に何があったのか訊いてみた。コースのルーティングを考えるのに半年はかかると彼は言っていた。彼らが私たちをコースデザインの「ファーストフード商人」だと思っていないように願っていたよ。しかし,この仕事にはいろいろな方法があることを学んだね。明らかに,クーアは自身のアプローチに非常に細心の注意を払っていたよ」。 *23

もうひとつのプロジェクトは、,ウェストバージニア州のブルーリッジ山脈にあるプリムランズだった。イーバートとマッケンジーは,13000エーカーの敷地を一日中車で走り回ったが,18ホールを建設するのに十分な広さの平らな場所を見つけることができなかった。その夜,ふたりはその地域の地図をつぶさに見て,十分な広さの土地を見つけましたが,それは山の頂上にあった。「それは今でも,私が関わった中で最も目を見張らせる環境のひとつだ」と,イーバートは言う。「敷地へのアクセス方法とクラブハウスの位置が決まると,スターティングホールとフィニッシングホールの計画に取り掛かった。その時点から,ジグソーパズルのようにすべてをつなぎ合わせていくことになるんだ」。 *24

すべてのプロジェクトには,さまざまな課題があるようだ。ドナルド・スティールは2005年に彼の会社を閉鎖し,トム・マッケンジーとマーティン・イーバートは自分たちの会社を立ち上げることができた。デザインの世界では名前が物を言うので,最初は緊張感のある時期だったが,仕事はどんどん入ってきて,それに伴って評判は大きくなっていった。カナダのグッドウッドはドナルド・スチールのプロジェクトとしてスタートしたが,その後、マッケンジー&イーバートのブランドになった。スリランカのビクトリア,そしてもっと身近なところでは,アスカーニッシュにあるオールド・トム・モリスの原石を発掘するのに,イーバートが貢献した。 *25

日本の廣野は,もうひとつのエキサイティングな企てだ。古いコルトの設計だが,もともとあった魅力が失われつつあった。イーバートはオーナーをセント・ジョージズ・ヒルの本物のコルトのグリーンを見に連れていき,パッティンググリーンを改造してバンカーを移動し,フェアウェイを再び広くして戦略性とショットの配置がより重要になるように説得した。 *26

しかし今年,そして今,この町で話題になっているのはポートラッシュであり,古い名作を近代的な傑作に変えた大規模な変更だ。そこで父親のためにキャディを務め,10歳の誕生日に初めてダレン・クラークに会ったことを覚えているローリー・マキロイ以上に,批評できそうな者は他にいないだろう。「視覚的には目を見張るものがあるね」とマキロイは言う。「彼らは砂丘の中に,まるでずっと前からここにあったかのようなホールを作ることに成功したんだ。このようなコースの近くで育つと,その有り難さが分からなくなるよね。ほんとは分からなきゃいけないのに。世界中でプレーして,戻ってきて初めてその素晴らしさに気づくんだ」。 *27

「新しいホールは全英オープンに向けて素晴らしいホールになると思う。7番はバーディーチャンスがあるかもしれないけど,ドライバーの落とし所がそれほど広くないので,ティーショットが難しいね。あと,グリーンには良いピンポジションがいくつかあって,特に落ち込んでいる奥のコーナーとかね」。 *28

「8番ホールはかなりコンサバなプレーになるかもしれないけど,それでもコンディションによっては攻めることがでる。生きてるうちに,こんなにも実家に近いところで全英をプレーできるなんて,思ってもいなかった。地元の観客の前でプレーすることの意味を考えていないとしたら,嘘になるだろうね。待ちきれないよ」。 *29

全英オープンがついに北アイルランドに帰ってくる? もうあなたは知っている。それが特別なものになることに。そして,かつてウェイターだった(数週間のあいだだったとはいえ)頑固な男が,7月18日(木)にボールが打たれる前から勝者となるコースを準備してきたことを。 *30

*1:イギリスゴルフ #100|北アイルランド遠征|Royal Portrush Golf Club - Dunluce Course|2019年全英オープン開催に向けて改装中 - Linkslover

*2:When the R&A needs to make classic courses fit to host Open Championships, more often than not Martin Ebert gets a call. Ahead of the Open, he tells Peter Masters what he’s done to get Royal Portrush ready, and how he got here in the first place.

*3:Two new holes, an array of new tees, new bunkers, a rerouting, several remodelled greens and even the suggestion of a water hazard will mean that Royal Portrush heads into the 130th Open Championship reconstructed, revitalised and raring to go. You could probably count on the fingers of one hand those in the golf course design game that would have the courage, experience and understanding necessary to pull off such a manoeuvre. To arrive at a course of such repute and renown, such prestige and provenance and not only to plump up her skirts, but to fiddle about with the petticoat and redesign the tiara might be regarded as a feat of extraordinary precociousness. It takes a steady and brave hand and one that has dealt with similar dexterous challenges before to make such a thing happen. Step forward the man Donald Trump most memorably labelled “the most stubborn man I’ve ever met”, otherwise known as Martin Ebert, otherwise known as the R&A’s go-to guy for all Open-related reworkings.

*4:Okay, “go-to” is perhaps slightly inaccurate because it’s the club, not the R&A, that would call Ebert in. But his company, Mackenzie & Ebert, has built something of a reputation as masters of a links. It’s now worked on seven courses on the Open rota including St George’s, Troon, Hoylake, Lytham, Carnoustie and, of course, Turnberry, where he crossed utility woods with the aforementioned Trump and gave as good as he got. But it’s Portrush, and the inescapable beauty of the Dunluce Course, that is currently in the limelight and where we should start in relation to Ebert’s remarkable climb up the golf industry ladder from Foxhills waiter to architect and designer of world renown.

*5:Once the R&A had decided to take The Open back to Portrush for the first time since Herbert Gustavus Max Faulkner won there in 1951, it made it clear that the tented village would have to be erected over the 17th and 18th holes. “There was a suggestion amongst many that the course really ended at the 16th and the two closing holes were quite weak,” says Ebert now.

*6:Attention turned to the club’s Valley Course where two brand new holes were carved from the dunes to create what are now the 7th and 8th, taking over land from the 5th and 6th on the club’s second string layout. “We had to set about persuading the club that such a drastic alteration was necessary because they were, quite rightly, proud of their Harry Colt heritage.”

*7:Evidence was needed to show that changes had already taken place since Colt had laid out his final design for the Dunluce in 1932. That evidence was found in the construction of the clubhouse as it is today, since the original one was positioned 1,200 yards away in the town. Colt’s 1st and 18th holes, connecting the original clubhouse to the rest of the course, had long been lost and it was the then club professional, P.G. Stevenson, who produced the plans for the replacements.

*8:Even though he was not directly involved, Colt gave his blessing and Stevenson’s creativity became the 8th and 9th, until Ebert’s latest changes made it the 10th and 11th, which is how they’ll be played during next month’s Open. While the changes have been extensive, the par 3 holes remain largely untouched. “It is interesting to note that there have been no major changes to any of the par 3 holes other than adding a back tee at the famous Calamity,” says Ebert. “Without exception they have all withstood the test of time.” Adjustments have been made on every other hole but remain true to the philosophy of Colt. “He made very sparing use of bunkers at Portrush,” says Ebert. “The nature of terrain and the penalty of the rough would have rendered over-reliance on bunkers unnecessary. There is little doubt that the standard of play has increased over the years but the revised course still only relies on 59 with the number of new ones balancing the number of bunkers removed. That is far lower than any other Open venue. Turnberry is the closest having 87 bunkers with the majority of the venues having around 100, Muirfield more than 150 and Royal Lytham & St Annes relied on as many as 203 the last time The Open was held there!”

*9:Portrush’s par-5 holes required special attention, to make sure the questions they ask remain relevant in the modern day. The most change saw the lengthening of the 2nd hole (see box overlead), but the 11th hole (old 9th), which has been played as a par 5 in the past, will play as a par 4 for The Open. The 12th hole (the old 10th) has been lengthened for the elite players, with tees to the left of the preceding green. The old 17th has been replaced with the new 7th hole and this includes the recreation of the fearsome ‘Big Nellie’ bunker. In total, the Dunluce now plays at 7,344 yards, an increase of 201 yards from the previous 7,143 yards.

*10:Projects like Portrush were always going to come Ebert’s way because he’d advised on the course in the past, but Turnberry was a different scenario and here, he really did have the R&A to thank for pushing his name to the top of the pile. The story goes as follows. Donald Trump was in the process of buying this iconic piece of Scottish links landscape and had his own architects lined up to carry out major renovations. But the then Secretary of the R&A, Peter Dawson, advised the future American President that maybe he should look at Ebert because he had experience of the course.

*11:“I got a call from Peter to say ring Trump,” Ebert explains, “I was quite hungover at the time, but I did and was told to hang on because he was in a meeting. But he came straight to the phone and we spoke for 10 minutes. It was clear that he had a respect for Dawson and the R&A. He let me speak, he told me that he wanted The Open and we agreed to meet.” That meeting was up at Turnberry and when Ebert got there he decided to take a walk out onto the course to look around. What he didn’t know was that Trump was also out there accompanied by an entourage of buggies. “They appeared from around a dune, but I thought ‘I’m not ready to meet him yet’, so I dived behind a gorse bush.”

*12:Quite what Trump would have thought if he’d caught his man cowering in the undergrowth one shudders to think, but neither the businessman billionaire or any of his bodyguards noticed. “I was ushered to sit next to him during dinner that night and we spent the evening talking golf and comparing thoughts on how to make Turnberry greater than it already was. The next day he simply said, ‘Let’s do the deal’.”

*13:Which is when Ebert earned his reputation for being stubborn. “It was an interesting battle of wills because he started by saying he wanted to make the 9th a par 3 over the ocean. I was reluctant because I thought the carry was too great but he was adamant and I guess looking back he was right. He felt people remembered par 3s more.” But in another instance, Trump eventually consented to the final position of the 14th green. He wanted it moved to the top of the hill where the old 9th used to be, but there were concerns over high winds and balls moving on the green. “This time I was adamant that the green should be placed lower down. We sent plans to his secretary and each time they came back with black arrows and lines all over them. But I didn’t back down and Trump gave up, but not before uttering his line about me being stubborn.

*14:“He still says to me that the 6th green is in the wrong place, but I wanted that hole to be short like the Postage Stamp, so that we could then take the 18th tee back to the shoreline.” The two remain in contact and Trump contacted Ebert only the other day. “Martin, what’s this I hear about Portrush being the best links you’ve worked on?” “No, Mr Trump. I said Portrush had the best dunescape I’ve worked on, but Turnberry has the most majestic setting.”

*15:The more observant of you will remember an earlier reference to working as a waiter at Foxhills and you may have wondered how such a change in fortune could take place. The truth is that back then the name Martin Ebert had accountancy written all over it. Brought up around Stanwell in Middlesex, Ebert had done well to get a place studying engineering at Cambridge and even better to get a golfing blue with a score in the mid-70s around Royal Worlington. The engineering option faded as Martin found himself getting more seduced by golf, with University fixtures at some of the country’s best courses.

*16:The squad organised a trip to the States in 1989 when they played at Merion, Pine Valley, Shinnecock Hills and a host of other legendary names on an American Holy Grail. When Ebert returned he was buzzing. It’s got to be golf, he thought, even if he had to enter the industry as an accountant. “I wrote to everyone asking for work. IMG, Peter Alliss, Keith Prowse, you name it. Everyone, but with little success.” Full of the exuberance of youth, he turned up at Foxhills brandishing the Cambridge US Tour brochure he’d put together, hoping it would get him some kind of management role – that and his two academic degrees. “Sure, you can start as a waiter!” Sitting lonely in the lunchroom on that first morning, Ebert realised he’d made a terrible mistake. He wasn’t really cut out to be a waiter. Worse still, he was already getting teased as the Cambridge toff with the glossy brochure.

*17:Then two Spanish ladies walked in, looking suave and sophisticated in their leather jackets. They were waitresses who were on their day off but had popped in to say hello to the new boy. “We got talking and they said they were from Santander in Northern Spain. ‘Oh’, I said, ‘that’s close to Pedrena where my hero Seve Ballesteros lives’.” “Yes, we know him. We’ve tried on his Green Jacket,” came the reply.

*18:Skip forward to the New Year in 1990 and Ebert, with his now girlfriend Ana Alonso (one of the waitresses), is in a house in Spain when in walks Manuel Ballesteros. They get chatting and Seve’s brother invites Martin to play at Pedrena the next day. “I wore my black watch tartan plus twos and must have looked a complete plonker. Manuel birdies the 1st and I hack it round. We get to the 7th and I can see someone familiar walking towards us in jeans and a polo shirt. It was Seve who’d come out to chat to the girls. I could feel him watching me and it was too much. I hit this ugly duck hook that very nearly took his head off.” Ana had been studying law in Madrid, but had failed her exam and was in England to learn English. Ebert got out of the job at Foxhills and then worked as a night shelf stacker in a supermarket. “There were some very weird characters on the night shift,” he remembers. “There was a sea dog captain who used to eat a litre pack of vanilla ice cream for his dinner.”

*19:That Easter, Ebert asked Manuel if he could find him a job with Amen Corner, Seve’s design company, but he was politely informed that he needed some different qualifications - agronomy being one. The Spanish connection wasn’t all bad though since Ana, who later passed her law exam, eventually became Mrs Ebert. The breakthrough into golf finally came via a friend from university, Andy Mackenzie, whose brother Tom had been working for a year with course architect and former Telegraph golf correspondent Donald Steel.

*20:“I got an interview with Donald and, knowing he was a writer, fully expected it to be for something to do with books,” he says. Wisely, Ebert took along a revised plan of the 9th hole at Worlington and a career in the design game was the result.

*21:It started as something of an apprenticeship but quite quickly progressed into a strong three-man team with Steel leading from the front before allowing his younger fledglings to deal with the more detailed design work. He rarely drew any maps or plans, preferring to work on site with the developers and constructors. This was in contrast to Tom whose skillful sketches set him aside from the other two. “The quality of his drawings blew my mind,” remembers Ebert. “I couldn’t do that, but I could do engineering contour plans defining levels of the ground. Tom copied me and that’s what we use today.”

*22:One of the earlier projects was in the Catskill Mountains in New York State and a site of some 4,000 acres. They’d never seen the site before, but after a weekend clambering over rocks and crossing rivers, they came up with an initial plan which was accepted by the owners.

*23:“It was interesting because we were up against Rees Jones and the Bill Coore and Ben Crenshaw partnership. I knew Coore had been out there, so I asked what had happened on my next visit. He’d said it would take six months to come up with a course routing. I hoped they didn’t think we were the ‘fast food merchants’ of course design. But it taught me that there are many ways to set about the task. Obviously, Coore was very meticulous in his approach.”

*24:Another project was at Primlands in the Blue Ridge mountains of West Virginia. Ebert and Mackenzie drove all day across the 13,000-acre estate but couldn’t find anywhere flat enough to construct 18 holes. That night they studied maps of the area and found a patch of land just big enough, but it was at the very tops of the mountains. “It’s still one of the more spectacular settings I’ve been involved with,” says Ebert. “Once we’d established how to access the site and where the clubhouse needed to be, we set about planning the starting and finishing holes. From that point you just start piecing it all together like a jigsaw.”

*25:Every project it seems brings a different set of challenges. Donald Steel closed his company in 2005 and that allowed Tom Mackenzie and Martin Ebert to set up on their own. It was a tense time to start with because so much in the design world is a name game, but the work kept coming in and the reputation started to grow with it. Goodwood in Canada started life as a Donald Steel project but then came across to the Mackenzie & Ebert brand. Victoria in Sri Lanka and then closer to home, Ebert helped to uncover the original Old Tom Morris gem at Askernish.

*26:Hirono in Japan is another exciting venture. It’s an old Colt layout, but had been allowed to lose a lot of its original charm. Ebert brought the owners over to see some real Colt greens at St George’s Hill, convincing them to remodel the putting surfaces, move bunkers and widen the fairways once again so that strategy and shot placement became more key.

*27:But the talk of the town this year, and right now, is Portrush and the extensive changes that have turned an old classic into a modern masterpiece. There can be no greater potential critic than Rory McIlroy who remembers caddying there for his dad and meeting Darren Clarke for the first time on his 10th birthday. “Visually it’s spectacular,” says McIlroy. “They’ve managed to create holes through the dunes that look like they’ve always been here. When you grow up close to a course like this, you don’t always appreciate it as you should. Then you play all over the world and it’s only when you come back that you realise how great it is.

*28:“I think the new holes are going to be excellent for The Open. The 7th might offer a birdie chance, but the drive is tough because the landing area for driver isn’t that wide. Also the green has a number of good pin positions, especially the one in the back corner where there’s quite a drop off.

*29:“The 8th hole might be played quite conservatively, but you still have the option to attack depending on the conditions. I never thought that in my lifetime I’d be playing in an Open quite so close to home. I’d be lying if I hadn’t thought about it and what it’s going to mean to play in front of my home crowd. I can’t wait.”

*30:The Open Championship finally returning to Northern Ireland? You just know that it’s going to be special and the stubborn man that was once a waiter, albeit for a matter of weeks, has prepared a course that is a winner even before a ball is struck on Thursday, July 18.