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ぜんぜんわからない 俺たちは雰囲気でゴルフをやっている

設計家チャールズ・ブレア・マクドナルド|Top 100 Golf Courses of the World

いわゆるC.Bマクドナルドの評伝。僕にとってはバミューダにある Mid Ocean Club の設計家なんですが,いちばん知られているのは National Golf Links of America ですかね。プレーしてみてぇ……。

なんか最後の方でその人格がくさされているけど,偉大なことに変わりはないです。

ソース

American Golf raises over £11,500 for On Course Foundation | Today's Golfer

拙訳

アメリカを作った男

イギリスの名ホールをテンプレートとしてアメリカの初期の設計を手掛けたチャールズ・ブレア・マクドナルドは,アメリカにおけるゴルフコース設計の父となった。ダンカン・レナードが,その創作手法に裏側に迫る。 *1

さかのぼること1901年。「Golf Illustrated」誌が当時の著名ゴルファーに,イギリスとアイルランドにおける名ホールをあげよと意見を募った。そもそもは興味を喚起して,議論をを巻き起こすのが狙いだったのだが,結果的には,ある大陸全体のゴルフコース設計家を刺激するものとなった。 *2

名前を連ねたのは,ハリー・ヴァードン,J.H.テイラー,ジェイムズ・ブレイドといったプロの他に,Horace Hutchinson,Harold Hilton,Herbert Fowler,John Low といった名だたるアマチュアもいた。選択肢は400コースほどしかなかったにも関わらず,その回答はさまざまなものであった。 *3

しかし,とあるテーマが浮上する。例えばワンショッター(パー3ホール)では,St Andrews - Old Course 11番「Eden」と North Berwick 15番「Redan」が筆頭に上がる。ブラインドのアプローチショットを強いられるPrestwickの「Alps」はツーショッター(パー4ホール)の代表格として上り,スリーショッターとしては Old Courseの14番と17番が最も人気が高かった。 *4

この議論に続いたのが,シカゴ出身の46歳,帰化したアメリカ人であるチャールズ・ブレア・マクドナルド。裕福で広い人脈を持ち,歯に衣着せぬ物言いのマクドナルドは,黎明期のアメリカゴルフ界において中心的な人物だった。約7年前のアメリカゴルフ協会(United States Golf Association)設立時も,指導的な役割を担った。 *5

セントアンドリュース大学に通ったあと,ゴルフ熱に感染した彼は,アマチュアプレーヤーとして絵に書いたようなキャリアを送り,1895年の全米アマチュアで初代チャンピオンにもなった。しかし,年月がすぎるにつれて,彼は自分の心が加速度的にある方向に向かうのを感じていた。彼自身の言葉でいえば,「ゲームの支配者ではなく,ゲームの従事者たるか」。Golf Illustrated 誌の投票が,彼の将来を方向づけた。 *6

アメリカ初期の粗野で発展途上なゴルフコースとは対象に,ブリテンの一流ホールは,まったくことなるゲームを表現していた。そしてそれが,マクドナルドが合衆国で作り上げたいものであった。 *7

「それで,アメリカのための国民的ゴルフリンクス(a national golf links for America)建設のアイデアを思いついた」と,1927年に彼は記している。「古典的な土台の上に,理想的なコースを建設すること。その信念と願いは,ゴルフというゲームの本質をよりよく理解するたせるためのコース,というものである」。 *8

あらゆる面において画期的な,新しいコースを彼は最終的に作り上げた。1911年,National Golf Links of America は,アメリカがゴルフ大国となる,その幕を開いた。 *9

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CB Macdonald (centre) plays in the first unofficial US Amateur at Yonkers in 1894. After finishing in second place, he declared the event null and void.

暗黒時代

ゴルフがイングランド中に広まる状況で,その波が大西洋を渡るのも避けられなかった。マクドナルドが友人デランシー・ニコル(Delancey Nicoll)をゴルフに誘ったときも言われたのが,「まったく理解できないんだが,どうして男性諸氏が,10エーカーの土地の中で小さな球を追っかけて無駄な時間を過ごせるものなのかね」。 *10

一方1881年,とあるアメリカのゴルフの先駆者が,アメリカにゴルフ用具を持ち込もうとしていたが,ニューヨークの税関で止められた。1時間ほど議論した結果,彼らの下した決断は「人殺しの道具を使ってスポーツをした者など,これまでにおらん」ということだった。クラブは没収されたが,6週間後に晴れて解放された。 *11

American Society of Golf Course Architects の元会長である Mike Hurdzan が述べているのだが,アメリカにおける初期のコースというのは,かろうじてゴルフコースの体裁を保っていたのだとか。「農学や建設や維持に関する知識を誰も持っていなかった」と語っている。 *12

「ゲームがプレーされるのは,ほとんどが冬。なぜなら芝が伸びないから。1888年に Yonkers で設立された St Andrews Club でさえも,ここはアメリカの最初のコースということになっているのだが,最初は凸凹な牛の放牧場に6ホールだけが作られ,その後1892年に林檎の果樹園に移動した」。 *13

しばしばコースは,裕福な人の土地に設計された。ボストンでは,鉄道の起業家 Horatio Hunnewell が,自分のコースを持っていた。「悪いコースじゃなかったよ」とか,その一家の友人である Laurence Curtis の言。 *14

「起伏のある芝と公園の上にコースが走り,そこそこ距離のある7ホールから成っている。ホールは5インチの植木鉢が埋められ,ハザードとなっているのは,大通り,茂みの塊,シャクナゲの花壇,鳥小屋,温室,そしてしばしば応接室の窓枠も。そして多くは,広場の女性と子供たちの狭い避難場所となった。熱狂的なプレーヤーたちが,ゴルフボールの力とキャリーと幅などお構いなしに,がんばんボールを打ってくるものだから」。 *15

そのコースの人気が出るにつれて,一家は地元のカントリークラブに応募した。彼らの土地にコースが設計できる余地があるかを確かめるために。これが最終的には,有名なブルックラインの設計になる。 *16

マクドナルドは初期のこのよろよろの歩みを,疑う余地なく見ていた。彼が見ていたのは,セントアンドリュースで恋に落ちたゲームとは共通点がほとんどなかったからだ。ここで彼はトム・モリス親子と出会い,アリスター・マッケンジーが「セントアンドリュースの精神」と呼ぶようになったものに夢中になった。 *17

「ゴルフの本当の古いゲームの印象は,言葉では表せないほどだ」と彼は書いた。「それは素晴らしい日の夜明けのようなものだった。感じることができるだけ。その魅力,その魅力のすべてを,言葉で伝えることはできません」。 *18

ゲームに習熟したマクドナルドは,最終的にモーリーズ親子やデイブ・ストラス,トム・キッドらを相手に,ときに共に対戦するようになった。しかし彼のキャリアは,1875年にゴルフのないシカゴに戻ったときは失速した。 *19

そこは,ゴルフの宣教師がいるべき場所ではなかった。そこには南北戦争の影響があり,1871年の大火があり,1873年の財政的「パニック」の影響があった。マクドナルドは,そこから17年間は株式のブローカーとして生計を立てた。ゴルフができるのは,まれにヨーロッパに旅をしたときだけ。「それは確かに私にとって暗黒時代だった」と,彼は回想している。 *20

バック・トゥー・ザ・フューチャー

しかし,ゴルフが新たに人気を博したおかげで,マクドナルドは暗黒時代から脱出できた。ヨンカーズのセントアンドリュースクラブは多くの歴史家によってアメリカ初の承認されたクラブと見なされているが,Shinnecock Hills,Newport CC,The Country Club といったその他のクラブもすぐそれに続いた。 *21

マクドナルドは,彼の故郷がシーンの一部であることを確かにした。彼は1892年に Chicago Club の最初のコースを設計た。9ホールのこのコースは,ベルモントの起伏のある農地に広がっている。1893年には延長されて,アメリカ初の18ホールコースと見なされている。現在この場所は Downer's Grove GCと呼ばれる9ホールになっており,元のホールは5つしか残っていない。 *22

彼の設計家としてのキャリアは,実質的には1901年までは始まらなかった。クラシカルで伝統的なゲームをアメリカに持ち込もうと情熱を燃やしていたが,同時に彼はUSGAの新しいプレジデントである RH Robertson と彼自身のアメリカナイズされたゴルフに対する明らかな欲求によって,警戒されていた。 *23

「私たちは皆,私たちの情熱と娯楽のためにイングランドとスコットランドがゴルフというゲームを輸出してくれたことを,有り難く思っている」と,Robertsonは1901年に述べている。「しかし私たちは,制限されすぎることにも抵抗しなければいえkないし,前例と伝統に囚われすぎないようにしなければいけない。アメリカに来たものはすべてそれに見合ったかたちでアメリカナイズされえようし,ゴルフもまたそのようになることを私は望んでいる。アメリカのゴルフというものを見たいものだね」。 *24

マクドナルドはこれと戦うために,彼の協力な影響力を使うことで解決し,「Golf Illustrated」誌の投票は,彼にそのやり方を示した。彼は古典的なイギリスのゴルフコースの戦略に基づいたホールからなる,「完璧な」ゴルフコースを設計し建設することになる。 *25

マクドナルドは1900年にニューヨークに移り,そのコースのための場所探しにはさほど苦労しなかった。彼の目には,「ロングアイランドは自然のリンクスだ」と見えたのだ。 *26

「マクドナルドは場所をうまく選んだ」と,Hurzdanは語る。「土地を動かしてゴルフボールを作るのは,当時は実質的に耳にしたことがなかったものだったが,定評のあるデザインを再構築するためには必要だった。ロングアイランド東端にある広大な砂地の中では,その砂地を動かしてかたちづくれる。アンジュレーションはすでにそこにあるし,なかったとしても作るのは容易い」。 *27

正確に設計することの必要性と価値を理解していたマクドナルドは,地元の土木建築家でありゴルフ未経験のセス・レイナーを指名する。彼らのパートナーシップは,そのあとの20年間のゴルフ設計の恒例となり標準となった。 *28

National Golf Links of America は,1911年にオープンした。アメリカ最初の,伝統的な戦略性をもったフルレングスのゴルフコースだ。今日に至るまでそのコースは,アメリカのゴルフ史におけるランドマークとしてありつづけている。ドラマチックであり,Peconic Bay の目をみはる環境にふさわしいリンクスならでは経験を提供してくれる。弱点は見当たらない。 *29

コースは絶賛された。「私がプレーした中で,St Andrews は最高のコースだと断言してきた」と,North Berwick のプロであるベン・セイヤーズは語った。「だけどナショナルコースを訪れたあとじゃ,2位にならざるをえないね。なんて場所だ!」 *30

しかし,プレーヤーの腕を試す偉大なコースであることの他に,National Golf Links はアメリカ的な前進方法として,革新よりも伝統を確立した。「アメリカは第二次産業革命の影響を受けていたね。ロックフェラーやカーネギーなどが生み出したような」と,Hurdzanはコメントしている。 *31

「至るところに巨大な進化があり,それは当時の精神,アメリカはなんでもより上手くできるんだという精神の一部になっていた。National Golf Links でマクドナルドは,ゴルフに関する限りは,必ずしもそうではないということを示したんだ」。 *32

アメリカの父

National Golf Links の成功によって,マクドナルドにゴルフコース設計を頼みたいという声が急増した。彼にとっては,その設計にクラシックホールを基礎にするという勝利の公式を変える理由が見当たらなかった。障害なく,NGLのレプリカは広範囲なスケールでテンプレートとなった。 *33

最終的には彼は,認識可能で再現性のある戦略的なオプションを21個考案したと目されている。それは,完全なホールから,二段グリーンのような特定のエリアにまで至る。彼とレイナーは,これらの公式を何度も何度も使うことになる。Greenbrier の Old White,バミューダの Mid Ocean Club,そして Yale University などで。 *34

今日,チャールズ・ブレア・マクドナルドはアメリカの殿堂入りを果たしている。彼はしばしばアメリカのゴルフコース建築の父と崇められ,時にはアメリカのゴルフそのものとさえ呼ばれている。しかし,彼の業績の見かけ上の利他主義は,自己宣伝をしがちな大げさな性格という文脈で見られるべきだろう。 *35

「彼にそれらの称号を与えたいと思っている人はたくさんいる」と,Hurdzanは言う。「彼はアメリカのあらゆるゴルフ設計家と同じくらい有名だし,よく言及もされている。個人的には,そうは思わない。他にも,トム・ベンデロー,ダンカン兄弟,ウィリー・パーク,ドナルド・ロスなど,多大な影響力を持っていた人たちがいた。そういう人たちが,人々にゴルフというゲームを与えたんだ。マクドナルドが設計したゴルフコースは19。ベンデローは約600」。 *36

「マクドナルドは傲慢だったし,人に好まれるような人物じゃなかった。彼は階級の違いが好きだった。彼に任せていたら,ゴルフは上流の人だけの遊びになっていたよ。大衆のためのものじゃなくてね」。 *37

マクドナルドの人物像は有名な話ではあるが,その真偽は定かではない。マクドナルドの甥が,National Golf Links のオープニングホールが短すぎると言い争い,グリーンに打てるかどうか叔父と賭けた。賭けに勝った彼の名は,叔父の遺言からすぐに抹消されてしまった。 *38

似たようなNGLの話にはとして,コースに風車が似合うと提案したメンバーがいた。マクドナルドは同意し,ひとつ注文し,そのメンバーに請求書を送った。 *39

またそれ以外の話として,初期のアメリカのゴルフクラブを法的機関に引きずり込もうとした彼の願望は,必要とされていた中央組織を提供することにあったとともに,彼が勝てるであろう全国的に認可されたアマチュア大会を提供することにあったのではないか,というものもある。 *40

アメリカのゴルフライターであり歴史家でもあるフレデリック・ウォーターマンは,次のように語っている。「1894年,マクドナルドはニューポートでのアメリカ初の全国アマチュアトーナメントで準優勝したが,コース上に石壁があるので大会は無効だと激怒した。スコットランドの象徴的な North Berwick の壁の存在を都合よく無視して」。 *41

「彼はまた,ストロークプレーというフォーマットは間違いだとも言っていた。そこでその年の秋に,ヨンカーズで再戦した。マクドナルドが再び準優勝したとき,この大会は国内組織の認可を受けていないので結果は無効だと,彼は言ったのだ。マクドナルドを制御するためには国内組織が必要であることが明らかになった。マクドナルドが独立するのではないかと懸念されたのだ」。 *42

しかし,チャールズ・ブレア・マクドナルドがゴルフの究極のコースを作ることで自らの名を不滅のものにしようと考えていたのはもっともらしく思えるものの,彼の遺産は不動のものであることに変わりはない。 But while it seems entirely plausible Charles Blair Macdonald had at least one eye on immortalising his own name through the creation of golf’s ultimate course, his legacy remains unsullied and undeniable.

彼のクラシックゴルフへの情熱は,アメリカのゴルフの基礎を築いただけではない。彼は最終的にUSGAとR&Aとが声をひとつにして行動し,今日の世界的なゲームに不可欠な統一ルールを促進するための条件を作成したのだ。 *43

しかしさらに,ゴルフコースの設計および作成のためのアメリカの標準を確立することで,潜在していたポテンシャルにアメリカを目覚めさせた。ロバート・トレント・ジョーンズ・シニアが見るように,「マクドナルドの成功は間違いなく,他のアメリカ人を刺激してそのあとを追わせ,その後ゴルフコース設計はもはやスコットランド人の排他的な領域ではなくなったのだ」。 *44

「アメリカで最初の偉大なゴルフコース設計家」とは,ダーウィンの評だ。そして,それは確かに彼が認めたであろう碑文である。 *45

*1:By using the finest holes of Great Britain as templates for America’s earliest layouts, Charles Blair Macdonald became the founding father of the country’s golf course architecture. Duncan Lennard discovers how and why he did it, and how his legacy lives on.

*2:Back in 1901, Golf Illustrated magazine asked the leading golfers of the day to give their opinion on the best holes in the British Isles. It was a poll intended to provoke interest, debate and perhaps a little controversy. It ended up inspiring the golf course architecture of an entire continent.

*3:Each of the Great Triumvirate of Vardon, Taylor and Braid offered their opinions as did leading amateurs like Horace Hutchinson, Harold Hilton, Herbert Fowler and John Low. Despite the fact that there were only about 400 courses to choose from, there was much variation in the responses.

*4:However, certain themes emerged. For the one-shotters, the Eden 11th at St Andrews Old and North Berwick West’s Redan 15th emerged as front-runners. Prestwick’s blind-approach Alps hole was a favoured two shotter, while the Old Course’s 14th and 17th were the most popular three-shot options.

*5:Following the debate from his home town of Chicago was a 46-year-old naturalised American named Charles Blair Macdonald. Wealthy, well-connected and forthright, Macdonald was a dominant force in the nascent American golf scene. He had been instrumental in setting up the United States Golf Association some seven years earlier.

*6:Smitten by the game after attending the University of St Andrews, he had had an illustrious career as an amateur player, even winning the first ever US Amateur in 1895. But as the years crept up on him, he found his mind increasingly turning to how he could become, in his own words, “not the game’s master but its servant”. Golf Illustrated’s poll would give him his direction.

*7:Set against the crude and inchoate challenges that made up America’s first golf courses, Britain’s finest holes represented almost a different game, and one Macdonald wanted to establish in the States.

*8:“So I conceived the idea of building a national golf links for America,” he wrote in 1927, “constructing a course ideally built on classical grounds, trusting and hoping to be sufficiently successful so that it might lead to a better understanding of the merits of the game.”

*9:Groundbreaking in every way possible, the course he eventually created, 1911’s National Golf Links of America, marks the country’s coming-of-age as a golfing nation.

*10:With golf on the march in England, it was inevitable it would make its way across the Atlantic – if not without some hiccups. When Macdonald attempted to cajole his friend Delancey Nicoll into the game, he was told: “I cannot understand how anyone having manly instinct can fritter away his time rushing around a 10-acre lot after a small pill,”.

*11:Meanwhile in 1881, an American golfing pioneer, attempting to bring in a supply of golfing equipment into the US, was stopped by customs inspectors in New York. After an hour’s debate, they concluded: “No one ever played a game with such implements of murder.” The clubs were impounded but happily released six weeks later.

*12:As Mike Hurdzan, a former president of the American Society of Golf Course Architects observes, America’s very first courses were scarcely bespoke golfing layouts. “There was no knowledge of agronomy, construction or maintenance,” he says.

*13:“Most of the time the game was played in winter because the grass wasn’t growing. Even the St Andrews Club, established in Yonkers in 1888 and generally regarded as America’s first, was a six-holer originally on rough cow pasture, before moving into an apple orchard in 1892.”

*14:Often courses were laid out through the estates of the wealthy. In Boston, railroad entrepreneur Horatio Hunnewell had his own track. “The course was not a bad one,” observed friend of the family Laurence Curtis.

*15:“It ran over undulating lawns and parks, and consisted of seven holes of fair distances. The holes were sunken five-inch flower pots; the hazards consisted of avenues, clumps of bushes, beds of rhododendrons, an aviary, greenhouses and an occasional drawing room window pane. And many were the narrow escapes of ladies and children on the piazzas at the hands of enthusiastic players who were totally ignorant of the force, carry and range of a fairly hit golf ball.”

*16:As the course became popular, the family applied to the local country club to see if a course could be laid out in their grounds. This would eventually become the famous Brookline layout.

*17:Macdonald observed these early, faltering steps no doubt with detachment, as what he was seeing had little in common with the game he fell in love with at St Andrews. Here he’d met Tom Morrises Old and Young and become intoxicated by what Alister MacKenzie would come to term the ‘Spirit of St Andrews’.

*18:“The impression of the true old game of golf is indescribable,” he wrote. “It was like the dawn or the twilight of a brilliant day. It can only be felt. The charm, the fascination of it all, cannot be conveyed in words.”

*19:Gaining proficiency, Macdonald would eventually play challenge matches with and against the Morrises, plus the likes of Dave Strath and Tom Kidd. But his career would stall on returning to golfless Chicago in 1875.

*20:There was no place for golfing missionaries in a city reeling from the effects of the Civil War, the great fire of 1871 and the financial ‘Panic’ of 1873. Macdonald earned a living as a stockbroker for the next 17 years, his golf limited to rare trips to Europe. “It surely was the Dark Ages for me,” he would recall.

*21:The new-found popularity of golf, however, would bring Macdonald out of the Dark Ages. Though the St Andrews club in Yonkers is deemed by most historians as America’s first ratified club, others including Shinnecock Hills, Newport CC and the Country Club quickly followed.

*22:Macdonald ensured his home town was part of the scene. He designed his first course for the Chicago Club in 1892. A nine-holer, it sprawled across some rare, rolling farmland in Belmont. Extended in 1893, it is deemed America’s first course with 18 holes. Today, the site is a nine-holer called Downer’s Grove GC and only five of his original holes remain.

*23:His design career would not really start until 1901. Passionate to bring the classical, traditional game to America, he was also alarmed by the UGSA’s new president, RH Robertson, and his apparent desire to Americanise golf.

*24:“We are all grateful for what England and Scotland have done for us in exporting the game for our dedication and amusement,” said Robertson in 1901. “But we should guard against being too much restricted and held down by precedent and tradition. Nothing can come to America without being Americanised in character and I hope this game will be no exception to this rule. I should like to see American golf.”

*25:Macdonald resolved to use his considerable influence to fight this and the Golf Illustrated poll showed him how. He would design and build the ‘perfect’ golf course with its holes based on the strategies of the classic British golf courses.

*26:Macdonald had moved to New York in 1900 and had little difficulty selecting his site for the course. “Long Island,” he observed, “is a natural links.”

*27:“Macdonald chose his venue wisely,” says Hurdzan. “Moving land to create golf holes was practically unheard of at the time, but necessary to recreate established designs. Among the huge sand dunes at the eastern end of Long Island you can shape the sand, move it. The undulation was already there, and if it wasn’t it was easy to create.”

*28:Understanding the need for and value of accurate construction, Macdonald enlisted local civil engineer and golfing virgin Seth Raynor. Their partnership would set both the example for and standard of golf course construction for the next two decades.

*29:The National Golf Links of America opened in 1911. America’s first authentically strategic, full-length golf course. It remains a landmark in the nation’s golfing history to this day. Dramatic and on a scale to match its epic setting on Peconic Bay, the course is an intense links experience without a weak spot.

*30:The course opened to rave reviews. “I have stood and sworn by St Andrews as the finest course as I have played on,” said North Berwick pro Ben Sayers. “But after visiting the National Course, it must now take second place. What a place!”

*31:But aside from being a great test of golf, National Golf Links also established tradition over innovation as America’s way forward. “America was in the grip of its second industrial revolution, the one that created the likes of Rockefeller and Carnegie,” Hurdzan comments.

*32:“There was massive progress everywhere, and it was part of the psyche at the time that America could do it better. With the National Golf Links, Macdonald proved that as far as golf was concerned, this was not necessarily the case.”

*33:The success of National Golf Links left Macdonald very much in demand as a golf course builder. He saw no reason to adjust a winning formula of using classic holes as models for his designs. Smoothly, the replicas of NGL became templates on a broader scale.

*34:Ultimately, he is reckoned to have devised 21 recognisable and repeatable strategic options, from complete holes to more specific areas like double-plateau greens. He and Raynor would use these again and again on future celebrated designs like Greenbrier’s Old White, Bermuda’s Mid Ocean Club and Yale University.

*35:Today, Charles Blair Macdonald is ensconced in America’s Hall of Fame. He is often reverently referred to as the Father of American Golf Course Architecture or sometimes, even American Golf itself. However, the apparent altruism of his achievements should perhaps be viewed in the context of a bombastic personality, apt to self-promotion.

*36:“There are many willing to bestow those titles on him,” says Hurdzan. “He is as well-known as any golf architect in the States, and it’s often referred to. Personally, I don’t believe that. There are others – Tom Bendelow, the Duncan brothers, Willie Park, Donald Ross – who had tremendous influence. It was those guys who bought the game to the people – Macdonald created 19 golf courses, Bendelow around 600.

*37:“Macdonald was arrogant, not likeable. He liked class distinction. If we’d left it up to him golf would have been a royal game, not one for the public.”

*38:Macdonald’s character is laid bare by a well-known if never quite authenticated story. His nephew, arguing the opening hole at National Golf Links course was too short, bet his uncle he could drive the green. He won the bet and was promptly written out of his uncle’s will.

*39:A similar NGL story involves a member who suggested a windmill would look very well on the course. Macdonald agreed, ordered one, and sent the member the bill.

*40:There are also suggestions that his desire to corral the early American golf clubs into a legislative body was as much to provide him with a nationally-sanctioned amateur tournament he could win as to provide much-needed central organisation.

*41:As American golf writer and historian Frederick Waterman recounts: “In 1894 Macdonald finished as runner-up in America’s first national amateur tournament, in Newport, but raged that the event was invalid because of a stone wall on the course, conveniently ignoring the existence of Scotland’s iconic North Berwick walls.”

*42:“He also said the strokeplay format was wrong. So they replayed the event that autumn at Yonkers. When Macdonald was again runner-up, he said the result was invalid because the tournament wasn’t sanctioned by a national organisation. It became clear that a national organisation was needed to control Macdonald; there was a concern that he might go off and start his own.”

*43:His passion for classical golf did not just set the foundations for golf in the US. He created the conditions that would ultimately allow the USGA and Royal and Ancient to act as one voice, promoting the unified code so vital to today’s global game.

*44:But further, in establishing an American standard for golf course design and creation, he woke America to the massive potential that existed. As Robert Trent Jones Snr observed, “Macdonald’s success undoubtedly encouraged other Americans to follow, and thereafter golf architecture was no longer the exclusive realm of the Scots.”

*45:“The first great American golf course architect,” was how Darwin referred to him. And that is surely an epitaph of which he would have approved.