Linkslover

I want to be a window through which Japanese golfers can see what’s happening outside. TPI G2/P2.

〈できるようになる〉を求めて

伊藤亜紗『体はゆく:できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』

ykkactuarial.hatenablog.jp

を読んで改めて思ったのは,自分はゴルフを通じて〈できるようになる〉を探求しているんだろうな,ということ。で,その裏にはゴルフの残酷さ--〈できる〉〈できない〉が最終的にただの数字で表現されるといつ意味で--あるんだろうな。

『体はゆく』自体は--サブタイトルにあるように--テクノロジーと身体との関係を探るもので,つまりテクノロジーが身体に介入することでどうやって〈できるようになる〉を実現するか,みたいな話。そこでゴルフに直接つながる話はほんの少ししか出てこないんだけど,物事の考え方みたいなところとか身体論的なところが,考えるヒントになりそう。

たとえば〈「できない」→「できる」のジャンプ〉といつ話。「できる」ようになるためには「できた」ときのイメージをもつ必要があるけれど,できないからそのイメージは持ちようがない。その矛盾を乗り越えるためのテクノロジーがある,という事例。

ゴルフの練習の場合は,そのジャンプを起こすのが〈ドリル〉かもしれない。強制的にできたときの感覚を惹起させるための。そういう意味ではドリルは有効だけど,ドリル自体が自己目的化したら,それはもはや意味がないと思う。

〈再現性〉の話も印象的だ。桑田真澄のピッチングは,毎回同じように投げているつもりでも体の動きにはだいぶゆらぎがあって,しかも結果の再現性はあるという。その流れで,ドレイファスの提唱する「技能獲得の五段階」が出てくるけど,多くの人は「規則を覚える」の「規則」が何なのか--意識的にも無意識的にも--わかっていないんじゃなかろうか,だとしたらことさら環境依存的なスポーツであるゴルフにおいて満足できるパフォーマンスをするのって無理に等しいよな,とか。

スイング動画を撮ってそれを見て線引いたりした分析するのが〈外部の視線〉だとしたら,スキルの獲得/上達のためには〈内部の視線〉〈内観〉〈インターナルフォーカス〉みたいなのが必要だと思うんだけど,ゴルフコースでのパフォーマンスを高めるためには,それをさらに乗り越えて外部環境と溶け合う/を取り込むことが必要なんだろうな。

〈報酬〉と〈罰〉とでは学習の仕方が違うという話。前者は学習しやすいけどスキルは定着しづらい,後者は学習しにくいけど定着しやすい。ということで,どうしても〈ブロック練習〉と〈ランダム練習〉との関係を思い出すのだけど,実際どうなのか。