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スニードの最多勝の記録は,はるか昔にウッズに塗り替えられていた|Golfweek

タイガー・ウッズがZOZOでPGAツアー最多勝記録に並んだ直後に,Golfweekで発表された記事です。その当時は各方面(ブランデル・シャンブリー含む)から絶賛されたし,その文の上手さに自分でも読んで感銘を受けたんですが,訳してみたらなんだかオーラが失せてしまったのはなんとも残念……。

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ソース

Tiger Woods left Sam Snead’s wins record in his rearview years ago by Eamon Lynch, 27 October 2019

拙訳

いくつかの数字が,その栄光を照らし出す。例えば「82」,タイガー・ウッズが今週末に並んだPGAツアーの最多勝利数。あるいは「15」,史上2番めとなる,タイガーのメジャー大会での勝利数。あるいは「683」,世界ランキング1位の座にいた週数。これに次ぐ者には,2倍以上の差をつけている。

さらに目を引くのは,われわれに勇気を与えてくれる数字だ。

例えば「1876」,79勝目と80勝目とのあいだの不毛な日々。ふたつの頂きは,乗り越えられないかのように思われた谷で隔てられていた。あるいは「3954」,オーガスタナショナルでの14勝目と15勝目とのあいだに横たわった日数。あるいは「1199」,2年もしない前のタイガーの世界ランキングは,ここまで落ちていた。

アスリートを蝕む3つの驚異――壊れた体,壊れたゲーム,壊れた私生活――を克服し,タイガー・ウッズはスポーツ界の生命力の象徴となった。

あと2ヶ月で44歳の誕生日迎えるタイガーは,彼を歴史上の人と思っている子供たちを打ちのめしながら記録を更新し,プレジデンツカップのキャプテンという,かつては儀式的な役割だと思われていたポジションを戦うポジションに変えた。12月のロイヤルメルボルンでは,ウッズが自らのためにプレーする。これまで常にそうであったように。

82回目の勝利を際立たせているのは,その勝ち方ではない。私たちは長いこと,タイガー・ウッズが強豪ひしめくフィールドの中で大差で勝利する様を見慣れてきた。日本のZOZOでもそうであったように。しかし,80勝目や81勝目ですら,それを目撃できると本当に思っていた人は,わずかしかいなかった。タイガーが79勝目をあげたのは2013年8月,Bridgestone Invitational でのこと。そのあと起こったのは,怪我。手術。個人的なトラブル。チッピングのイップス。ハンデ10のゴルファーのようなスコアカード。容疑者の顔写真。DUI(飲酒および麻薬の影響下の運転)事件。治療。それらが起こるたびに,タイガーのキャリアは終わったと謳う記事が溢れた。

ウッズ自身でさえ,自分は終わったのではないかと声高に疑った。「自分の将来がどうなってるかわからない」と,引退をほのめかすようにつぶやいた。

日本で何が起こるか,タイガー自身もきっと知らなかっただろう。競技から離れること9週間。左膝に新たな手術を受け,マスターズ以降のシーズンは散々たるものだった。

彼はおそらく日本が何を持っているかも知らなかったでしょう。ウッズは9週間は競争していませんでしたが、左膝に新たな処置を施し、昨シーズンはマスターズの後のdes地に陥りました。しかし、ゾーゾが身に着けているように、より多くの数が勝利を避けられないようにした。しかしZOZOを終えて,さらなる勝利がタイガーには訪れるように見える。

シーズン最初に出場した大会でタイガーが勝利したのは過去7回。ZOZOもそうであった。初日2日目をともに64以下でまわった大会で,優勝を逃したことはない。予選ラウンドを首位で通過すると,彼は伝説の競走馬シービスケットのように,優勝に向かって走り抜ける。その勝率,84.8%。3日間のラウンドを終えて3打差以上でリードしたときは,24回中24回優勝している。実際,彼に迫ろうとしたプレーヤーはいただろうか?

ウッズがツアー初勝利をあげてからの8421日のあいだに,世界はどれほど変化したか。当時,Fox News チャネルは存在すらしなかった。タイガーがラスベガスで優勝したその翌日に,Fox News は産声をあげたのだ。ルーキーのタイガーはその勝利で,世界ランキング75位となった。その週のランキングのトップ25にいたプレーヤーのうち,フィル・ミケルソンだけが,シニアツアーでプレーしていない,あるいはテレビの解説者の職についていない。シニアツアーからも引退したプレーヤーさえいるのが,その当時のトップ25プレーヤーだ。

「また戻ってきた。これから何度も勝つチャンスがあると思う」と,タイガーは語った。控えめながら,まだツアーをかき回すという自信を感じさせながら。そのきっかけとなった,日本での完全優勝。雨で月曜日までもつれこんだ大会だった。「長い一週間だったね。5日間もリーダーボードの上にいた。とても長く感じたよ」。23年間もトップクラスにいるというのもまた,長い時間だろう。

タイガー・ウッズが記録上で並んだ男,サム・スニード。彼もまた,息の長いキャリアを過ごした。彼の82勝目は,52歳のときに達成された。サムによれば,84勝目らしいが。当時の記録は雑につけられていて,かなり前に見直された結果,もともとの84勝から82勝に下方修正されたのだ。サムはそれについて,修正ずっと不満を述べていた。スニードが亡くなった2002年5月,ウッズはPGAツアーで31勝をあげていて,その直近の勝利は5週間前のマスターズでだった。伝説のプレーヤーはあと4日で90歳の誕生日を迎えるというところで亡くなったが,自らの記録は破られることがないだろうと信じていたに違いない。

スニードの抗議はさておき,82勝という数字も,実は過大なものだ。そのうち半ダースほどの大会は出場者が15人未満の小さなものだったし,そのうちのいくつかは,参加者がひとつの車に乗り込んで会場に向かえるほど小さなフィールドだった。36ホールだけで競われる大会があれば,18ホールだけの大会もあり,チームイベントも少しあった。事実上,ウッズはとっくの昔にスニードの記録を破っていたといえるのだ。

近視眼的なファンが,ウッズの今回の82勝目は価値が薄れると言うかもしれない。というのも,その勝利が母国アメリカで成されたのではなく,遠く7000マイル以上も離れた場所で起こったので。しかし,日本はその場所にふさわしい。ツアーの強化とエリアの拡大を狙うPGAツアー。日本を含めたアジアでは,ファンたちはゴルフそのものを渇望している。一方のアメリカで,一部のツアー会場でファンたちがただ単に喉が乾いてビールを望んでいるのとは対象的に。

この最多勝の記録は,いつかウッズが達成するであろうと思われていたものだ。そのタイガーにも,ニクラウスのメジャー最多勝記録に迫るチャンスは年4回しかなく,その記録は手に届きそうで届かない……ように見えるが,果たしてずっとそうなのか? これまでのアスリートで,ウッズほど自らを生まれ変わらせた者はいないし,ウッズほど深い谷底から這い上がってきた者もいなかった。ウッズについて何か予想を立てると,あとあとになって自分が愚かであったことを証明するだけ,ということがこれまでの常であった。「82」という数字は,またひとつの大きな節目となった。ゴルフファンのほとんどが,ウッズも含めて,待ち望んでいたよりも遥かに長くたどり着くのに時間がかかったが。