Linkslover

I want to be a window through which Japanese golfers can see what’s happening outside. TPI G2/P2.

Player Blog: マーカス・アーミテージ|European Tour

今年(2020年)の1月に出た記事です。ヨーロピアンツアーのプレーヤーブログに登場した,マーカス・アーミテージ。小さいときにレッスン受けずにスクラッチになったとか,母親を亡くしてゴルフに逃げ込んだとか,肩が痛いので全英に出たけどハーフショットだけしたとか,面白いエピソードがいっぱいなんですけど,昨年末に下部ツアーで勝ってツアーカードを手にしたときの彼のインタビューを見ていただければ,それだけでファンになると思います(訛りがキツいので聴き取るのが大変ですが,それでも伝わるものがいっぱいある)。

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ソース

Player Blog: Marcus Armitage - Articles - European Tour, 11 January 2020

拙訳

どうやってゴルフに入り込んだのか,いまだに思い出せない。農家で生まれ育った。土地だけの農家だけど。それれに父はゴルフを全然しなかったんだけど,ラグとカーペットのビジネスを40年もやってて,ある男に貸しがあったんだ。それで,父は取り立てに行ったんだけど,どういうわけか,そいつのゴルフクラブを手にして家に帰ってきた。返す金がなかったんだって。そのクラブは家のガレージに眠ってたんだけど,それを僕が連れ出して,どうやったか,どうしてやったか知らないけど,クラブを握ったときにインターロックで握ったんだ。最初に打ったショットを覚えてる。ちょっとしたラフなライから打った7番アイアンで,矢のようにストレートなショットだった。ピシッ! そのショットを昨日のことのように思い出せる。原っぱのどこに飛んでいったのかとか,全部。そのショットから,自分はまるで「今のは何だったんだ?」って感じだ。*1

父は最初,僕をゴルフ場には連れてってくれなかった。母が病気だったし,父も暇ではなかったから。母は父に,僕をゴルフ場に連れていけってずっと言ってたんだけど,父の中でのゴルフ場のイメージっていうのが,ふらっと行ってプレーできる場所ではなかったんだ。会員にならなきゃいけなくて,会費が数千ポンドもするような場所って思ってたんだね。結局父は Oldham Golf Club に連れていってくれて,そこに行ったらちょうど,ジュニアオープンの大会をやってたんだ。参加費が5ポンドだったと思う。お金払ってただプレーさせてもらえませんか,って父が聞いたんだ。ゴルフコースに来るのは初めてなもので,って説明してね。そしたら机にいた男の人が,ただ大会に出なよって言ってくれたんだ。ハンデはいくつかって訊かれたけど,僕らは「ハンデってなんですか?」って感じだった。それでその人の前で何球か打ったら,その人は「信じられない」って感じで。その人は John Beverly っていうんだけど,その日のために18っていうハンデをくれて,そしたら1位タイになった。でもトロフィーはもうひとりの方にあげなきゃいけなかったんだ。僕は非公式だったからね。その大会のあとで,John がクラブに入らないかって聞いてきたんだ。1年目の会費を払ってくれるって。*2

2001年,母を癌で亡くした。2001年3月10日,僕は学校に行くのをやめた。父はどうやって罰金から逃れられたんだろうな。僕はただ単に学校に行くのをやめた。13でやめて,以来戻ってない。自分が行けて集中できるのは,練習場だけだった。教室ではただ座ってて,母が死んだことだけを考えてた。練習場では,ゴルフボールを打つことに集中できる。ゴルフは自分にとって逃避行だった。*3

レッスンをひとつも受けずに,ハンデがゼロかプラス1になった。レッスンを受けはじめてから,イングランドのランカシャーの代表になった。そして Lancashire Boys で優勝した。そのあとはアマチュアとしてしょぼい戦績だったけど,そのあとプロになって,ミニツアーでプレーした。2009年に Players Tour っていうツアーでプレーして,賞金ランキングで1位になった。2位のヤツには倍の差をつけて。*4

2010年が始まって,怪我をして,そこで道から外れた。よくある話だね。2010年から2013年はゴルフができなくて,大きなギャップがあいた。勘違いしないでほしいんだけど,自分の人生の何かを変えようとは思わない。なぜなら今の自分は,過去に起こったことすべてで形づくられるものだから。もちろん,できることなら母を失いたくなかったけど,でもその3年間はゴルフから離れていた,でもそれはそれでいい,それがあって今の自分があるからさ。*5

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運転免許を2013年に亡くしたけど,僕に起こったことの中でそれがいちばんのことだと思ってる。母が死んだとき父がしてくれたのは,僕を Oldham Golf Club に連れていって,朝8時にクルマから下ろして,夜6時に迎えにくること。だからそのあいだはずっと練習してた。だから免許をなくしたとき,また僕の送り迎えをしてくれたんだ。僕にとってとてもラッキーだったと思う。父は仕事を辞めてて,何もすることがなかったから。僕と父とのふたりだけになって,1年ちょいか1年半かな。2013年の終わりに,Anthony Sheehy をコーチに迎えた。それで風向きが変わりはじめた。2013年の冬に,すごい減量した。30kgぐらいかな。2014年に,自分がスパゲッティみたいに感じた。自分には何もなかった。*6

2015年は本当にすべてが変わった。その前の年は苦労したけど,でも2015年は EuroPro で2回勝って,それから Challenge Tour に出た。右も左も分からなかったけど,中国で勝ってそれからヨーロピアンツアーに出られるようになった。イギリスをクルマで走り回って,EuroPro の大会で2勝して,13ヶ月後に Challenge Tour でプレーして,それからヨーロピアンツアーのカード手にした。「おーい,何が起こってんだ?」って感じだった。ツアーにでると,自分の周りに旋風が吹き荒れてる感じ。本当にシンプルなことだけをして,雑音をたてなきゃ,もっと成功のチャンスが増える。*7

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ツアーでの最初のシーズンにカードをなくしたけど,全英の出場権は手にした。ガッカリして肩を下げたまま出るのはただただ残念だったよ! 全英の10日前,インドアのスカイダイビングに行こうと決めた。本当はすごく意味不明だった。だってすでにタンデムのスカイダイビングを1万2千フィートからやってたから。だからなんで風洞に行ったのか分からない。肩のところがソケットから破れて,2時間も剥き出しになった。Challenge Tour の理学療法士のひとり,Poora Singh に診てもらったんだけど,「来週の全英には出れないね」って言われた。「いや,出るよ。見てなよ。ハーフスイングで出るから」って言ったんだ。実際にそうしたんだけどね。ハーフスイングで全英に出て,予選落ちした。2日目はハーフスイングで69だったんだよ。すごく落ち込んだ。トミー・フリートウッドを9ホールの練習ラウンドをしたんだ。トミーはジュニアのころから知ってる。僕,トミー,ジャック・シニア,マット・ボールドウィン,マット・ニクソン。みんなランカシャー男だ。トミーは僕がからかってると思ったんだ,1番ティーでドライバーをハーフスイングしたときに。ロリーとエリック・ヴァン・ローエンとも数ホールプレーして,僕はただただ落ち込んだ。落ち込んだのは,これほど素晴らしい大会に出られるまですごく時間がかかったのに,今こんなことになってるから。すごく落ち込んだ。そのときは,今みたいな心の持ち方じゃなかった。そのとき思ってたのは,これは自分にとって唯一の全英で,生涯唯一のものになろうだろうってこと。それは完全に狂ってるよね。*8

2019年はしょぼくて,スポンサーもいなけりゃカネもなかった。それにコーチから離れた。ちょっと頭がおかしくなって,Challenge Tour で激しい1年を送った。浮き沈みの激しい1年で,クレジットカード頼みだった。フィアンセのルーシーと家を買ったばかりだったから,だから彼女は最高だった。僕らは狂った旅をしていて,僕らが一緒になる直前に彼女はコスタリカに引っ越すところだったけど,自分の気持ちを伝えて,留まることにしてくれて,それ以来彼女はずっと一緒だ。去年は彼女にとっても大変な年だった。年の半ばでコーチとよりを戻して,修正してもらった。5球も打たないうちに,素晴らしいショットが出はじめたんだ。いろんなことがあったけど,あのときはマジで EuroPro に出戻るもんだと思ってた。*9

クオリファイイングスクールのために,昔のキャディーのゲリー・エドワーズにまた担いでもらうことにした。それと,ダンカン・マッカーシーっていうメンタルコーチもつけはじめた。ダンカンとは付かず離れずで10年もやってるけど,ダンカンとアンソニーは自分のキャリアにとってとっても重要。ゲリーとダンカンが戻れば,自分にはチャンスがあるって分かってた。進むにつれてそれが正しいって証明できて,ツアーカードを取り戻した。ホッとした。すべてを削ぎ落として,正しい方向に向かってる。Leopard Creek のあとで,家に戻って何人かに会った。僕をサポートしてくれて,スポンサーしてくれるっていうんだ。今はただただ,純粋にゴルフを楽しむためだけにすることができる。お金の心配をする必要がない。家の心配をする必要がない。それでどれだけ生活と命が救われるか,信じられない。心配ごとは手を変え品を変えてやってくるだろうけど,でも本当に何が重要かを思い出すだけでいい。*10

最初にツアーに出たとき,「ここにいるのも一度限りだから,楽しもうぜ」っていう気持ちだった。いま思ってるのは,もし体に何も起こらなければ,30年後もここにいて成功をめざしてると思う。今年成功しなくても,次の20年とか30年とかでそうしてみせる。いまやってるのはそういうこと。今回は,自分のやりたいことをやるのを恐れてない。練習ラウンドで人を求めて歩き回ったりしない。飯のために人を探し回ったりしない。ただただ,自分にとってベストなものに集中してる。もしプレーしたいときに友達がティーにいたら,もちろん彼らとプレーする。でも自分にとってベストなことをしてるんだ。もし誰かが一緒に練習ラウンドしようぜって言ってその前に自分が準備できてたら,ひとりで回る。自分が準備できるときにプレーする。それでまったく問題ない。それはマット・ニクソンから学んだことなんだ。ツアーにいたとき,彼はいつも自分がしたいことをした。大人のやることだね。10球打とうがビジェイ・シンみたいに500球打とうが,関係ない。自分が何をやってるか,何が自分に効くのかを,知ってなきゃいけない。でもそれが分かるためには,もうちょいツアーでの時間が必要かも。若い奴らがそこまで来るのはちょっと大変だよね。まだ人生でその粋に達してないから。でもその時は来る。*11

今年の目標は,ヨーロピアンツアーの小さな大会で優勝して,フルの出場権を手にして来年出たい大会に出ること。小さな大会で勝って,Race to Dubai でトップ50入りして,年末の DP World Tour Championship に出たい。優勝が成し遂げられたら最高だな。夢のような年になるね。*12

*1:I’m still not sure how I got in to golf. I lived on a farm growing up – a non-working farm – and although my dad never played golf, he had a rug and carpet business for 40 years and this guy owed him some money. So, he went round to get it but ended up coming back with this guy’s golf clubs because he didn’t have the money to pay my dad. The clubs were just sat in our garage, so I went to get them out and I don’t know how or why I did it, but I just interlocked my grip when I grabbed hold of the club. I remember hitting my first shot; a seven iron off a bit of a rough lie and I just hit it arrow straight. Flush. I can remember that shot like it was yesterday. I can remember where it went in the field and everything. From that shot, I was just like ‘what has just hit me?’

*2:My dad wouldn’t take me to a golf club at first, because my mum was ill, and he didn’t have much spare time. My mum kept telling him to take me to a golf club, but my dad’s image of a golf club wasn’t like you could just walk in and play, it was that you had to be a member and memberships cost thousands. He eventually took me to Oldham Golf Club and when I got there, their Junior Open was on and I think it was £5 to enter. My dad asked if we could just pay and play and explained that we’d never been on a golf course before, but the guy on the desk suggested I should just enter the competition. He asked what my handicap was, and we were like ‘what is a handicap?’. I hit a couple of balls in front of him and he couldn’t believe it. This guy was called John Beverly and he gave me an 18 handicap for that one day and I ended up coming tied first. They had to give the trophy to this other kid because I wasn’t official. After the competition, John Beverley asked me to join the club and offered to pay for my first year’s membership.

*3:In 2001, I lost my mum to cancer. March the tenth, 2001. I stopped going to school. I don’t know how my dad got away without getting a fine because of it. I just stopped going to school. I left at 13 and never went back. The only place that I could go and focus was on the practice ground. In a classroom, I was just sat thinking about my mum dying. On the practice ground, all I was focused on was hitting a golf ball. Golf was an escape for me.

*4:I got to scratch or plus one without even having any lessons. After I started having lessons I played for the county Lancashire in England, and I won the Lancashire Boys competition. After that I had a poor amateur career, let’s get that right. I turned professional and played on mini tours. In 2009 I played on a tour called the Players Tour and I won the Order of Merit by double the money of the guy in second place.

*5:At the start of 2010 I got injured, and that’s when I went off track. Everyone’s probably heard the stories. There’s a big gap between 2010 and 2013 where I didn’t play golf. Don’t get me wrong, I wouldn’t change any part of my life because who I am today has been crafted through everything that has happened. Obviously, I’d not lose my mum if I could, but those three years I had out of the game, I wouldn’t change it because I am who I am now.

*6:I lost my driving licence in 2013, but it was the best thing that happened to me. What my dad did when my mum died was take me to Oldham Golf Club, drop me off at eight o’clock in the morning and pick me up at six o’clock at night, so all I did was practice. So when I lost my licence, my dad started driving me around again. I was really lucky because my dad had stopped working on the markets and had nothing to do. It was just me and my dad again, for a good year or a year-and-a-half. At the end of 2013 I started working with Anthony Sheehy. That’s when I saw things change. I lost a load of weight in the winter of 2013 – I think I lost five stone – and in 2014 I felt like a piece of spaghetti. There was nothing to me.

*7:In 2015 everything really changed. The year before had been a difficult one for me, but in 2015 I won twice on the EuroPro and then I got on the Challenge Tour. I was nowhere and then I got onto the European Tour after winning in China. I went from driving round the UK and winning two EuroPro events to 13 months later playing on the Challenge Tour, then earning a European Tour card. That’s a massive change. I had a rough first year but then I finished second in Ireland and won in China and suddenly I’m the European Tour. I was like ‘woah, what is going on here?’. It’s like a whirlwind that surrounds you when you get on Tour. If you just do the really simple things and don’t make any noise, then you’ve got more chance of success.

*8:During my first season on Tour I lost my card but I did qualify for The Open – it was just a shame I had to play with a torn shoulder! Ten days before The Open, I had decided to go indoor skydiving. It was quite pointless really because I’ve already done a tandem skydive from 12,000 feet, so I don’t know why I went in a wind tunnel. I ripped my shoulder clean out of the socket and it was out for two hours. I went to see Poora Singh, one of the physios on the Challenge Tour, and he said, ‘you’re not playing in The Open next week’ and I responded, ‘yes I am, you watch me. I’ll go with half a swing’. And that’s exactly what I did. I played The Open with half a swing and missed the cut. I shot 69 on the second day with half a swing. I was gutted. I played a nine-hole practice round with Tommy Fleetwood. I’ve known Tommy since we were juniors; me, Tommy, Jack Senior, Matt Baldwin, Matt Nixon, we’re all Lancashire lads. Tommy thought I was winding him up on the first tee when I gave it the half a swing with the driver. I played a few holes with Rory and Erik van Rooyen and I was just gutted. I was gutted because I thought it had taken me so long to qualify for such a great event and I’ve done this. I was gutted. At the time, I wasn’t in the mindset that I am now. I was thinking it’s one Open, this is it for the rest of your life. That’s absolute madness.

*9:I had a poor 2019 with no sponsors, no money, and I left my coach. I just had a mental, bashing year on the Challenge Tour. It was a rollercoaster year and I was playing on and living off credit cards. I had just bought a house with my fiancé Lucy, so she’s been brilliant. We’ve had a crazy journey together where she almost moved to Costa Rica before we got together but I told her how I felt and she decided to stay and we’ve been together ever since. It was a tough year for her last year. Halfway through the year I got back together with Anthony and he sorted me out. Within five shots I was back to hitting it fantastically again. But it wasn’t complete. The game was there, but my mind wasn’t right. It was smashed because I had no credit and no help. I was going it alone. Life put me in certain situations and I honestly believed I was going back to the EuroPro.

*10:For Qualifying School I went and got my old caddie Gary Edwards back. I also started working with a mental coach Duncan McCarthy. Duncan and I have been working on and off for ten years and he and Anthony have been so important in my career. I knew if I had Gary and Duncan back I had a chance. I was proved right as I went and got my card back. Relief. I’ve just stripped everything back and doing it the right way. After Leopard Creek, I went back home and met a couple of guys who are going to help me out and give me a bit of sponsorship. I can just go out and play golf purely for the enjoyment of it. I don’t have to worry about money, I don’t have to worry about the house. It’s unbelievable how much it helps you live your life. Your worries will always jump to other things but you just have to remind yourself what really matters.

*11:When I first got on Tour, I had the mindset of ‘you’re only here once so you better enjoy it’. This time I’m thinking, unless something happens to me physically, I’m still going to be here in 30 years trying to make it. If I don’t make it this year, I’m going to be trying for the next 20 or 30 years. It’s what I do. I think this time, I’m not scared of doing what I want to do. I’m not waiting around for people for practice rounds, not waiting around for people for food, I’m just focused on what’s best for me. If friends are on the tee when I want to play, of course I’ll play with them, but I’m doing what’s best for me. If someone says they might join me for a practice round but I’m ready before them, I’ll play on my own. I’m playing when I’m ready. I have no problem with that. That is something I learned from Matt Nixon. When he was on Tour, he always used to do what he wanted to do. It’s a maturity thing. Whether you hit ten balls or 500 balls like Vijay Singh, it doesn’t matter. You just have to know what you’re doing and what works for you, but I think you need a bit of time on Tour to work that out. It’s tough for young kids coming through because they might not have got to that point in their lives yet, but they will.

*12:This year, my goal is to win a small European Tour event so that gives me full status and I can play what I want next year. I’d like to win a small event, get into the top 50 in the Race to Dubai and get into the DP World Tour Championship at the end of the year. It would be nice to have a win under my belt, that would be a dream year.