Linkslover

世界中のどんなコースに行っても恥ずかしくない/戦える/コースと対話できる。そんなゴルフをしたい。

後藤修『奇跡の300ヤード打法 爆飛びゴルフ』小学館文庫

大庭可南太さんのブログで「TGM(注:The Golfing Machine)のスインガーを目指す人に取ってこれ以上実践的な日本語の文献は存在しないと思われます。」と書かれていたので*1買って読んでみたのですが,その意味されるところがまったく分かりませんでした。TGMもざっとしか読んでないし,この本も流して読むことしかできなかったので,分からなくて当然なんでしょうが。

奇跡の300ヤード打法―爆飛びゴルフ! (小学館文庫)

奇跡の300ヤード打法―爆飛びゴルフ! (小学館文庫)

著者の後藤修という方は「(ジャンボ)尾崎や中島常幸を復活させ賞金王に押し上げた伝説の名コーチ」*2らしいのですが,尾崎にも中島にも「あとは自分でやります」といって去っていかれたそうで,そのことをブツクサ言ってるのですが,

以前,日大出身の大町昭義や川岸良兼にトーナメントの練習場で会ったとき「よう! アドレス日本一」とか「100点アドレス!」とか,からかったことがある。(p.90)

というようなクセの強さ(性格の悪さとは言いませんが)があるからこそ,尾崎にも中島にも去られたんじゃないですかね,と邪推したくなるような,香ばしさがこの本にはたっぷりと感じられます。(いや,よく読むとそれこそTGMに通じるような何かがあるのかもしれないけど,僕は精神的に未熟なのでそこまでの努力をする気概がありません)

といいながら,この本の中で一箇所だけ努力を要さずに納得できる部分があって,それは,

土の上に棒切れで「一」という字を書くとき,左から右に「引けば」スムーズにきれいに書けるはずだ。それを逆に右から左に「押して」書くと,ゴツゴツとつっかえた汚い字になってしまうはずだ。(p.28)

というくだりで,これは Dave Pelz のショートゲームの本でも一輪車を押すか引くかってたとえで持ち出していたように,要はクラブは引いた方が動きが安定するよってことですよね。

一方で,

日本人はただでさえ胴長短腕的な体型が多い上に,子どもの頃,棒を持てばチャンバラごっこで「切る」ことが多い。西洋の子どもなら拳銃ごっこで「出す」かフェンシングで「突く」だろう。大人の毎日の挨拶も,日本人は頭を「下げ」尻を「引く」お辞儀なのに,西洋人なら握手で手を「出す」である。ちなみに西洋ではノコギリも「出し」で切るが,日本は「引き」で切る。このように「スライス体(からだ)」の者が多いところへ,この安手の腰打ちやらボディターン打法に同調してしまったら,「スライス」は決定的となってしまう。(pp.56-57)

という,ノコギリによる安易な比較文化論(笑)はよく見ますが,それに加えてチャンバラごっこと拳銃ごっこ,お辞儀と握手という対比まで持ち出して,なんてクリエイティブなんだろうかと思うんですが,ここんとこ結局何が言いたいのか分からない。前後の文章を眺めると,「西洋人はもともと<出す・押す>動きがあるので先天的にフック系の球をゴルファーが多いから<腰を回す・ボディターン>という指導が主流になるけど,日本人の動きはそれとは逆なので(チャンバラごっこやってますから!),西洋人のマネしてもしょうがない。だから<半身で腕を振って打つ>のじゃ」ってことなんですかね。

同じフェードを持ち球にしてもニクラウスは腰を逃さずに打った。スタンスの向きをオープンにしたり,あるいはフェースを開いておくことで,ドローの打ち方とほとんど同じスウィングでフェードを打った。腰を開く・逃すのは「守り」(=マイナス)である。腰を入れる・踏ん張るのは「攻め」(=プラス)である。攻めてこそ未来があるのではないか。(p.41)

それ,言い方の問題じゃん。著者いわく,ベン・ホーガンは「守り」のスウィングだから変則で,だから正統とは呼べなくて,その証拠に「彼はパットのイップスに悩まされ続けて選手生命を断たれた」そうなのですが,ここまでくると言いがかりとしか思えないな。

それはともかく,読んでるとなんとなく感じるのは,いまの森守洋氏とか三觜喜一氏のレッスン内容との共通点で,腕を振るもしかり,「右中間」というフレーズとか,バットの水平振り練習とか,カゴを振る練習とか,もろもろ。

ダウンスイングスイングでのニーアクションとか左足のめくれの話なんかは参考になりそうなんですが,あとで気持ちが落ち着いたら読み直します。