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ぜんぜんわからない 俺たちは雰囲気でゴルフをやっている

ピート・ダイの魅力は色褪せず,彼のようなコース設計家は二度と現われない|GOLF.com

今週は TPC Sawgrass で The Players なので,ピート・ダイを改めて偲ぶのもいいと思います。

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Even at 94, Pete Dye never got old. “He loved to joke,” Rees Jones said. “He loved to tweak you. He loved to make you think.”

ソース

Pete Dye, an ageless wonder, was a course designer like no other By Michael Bamberger, 10 JANUARY 2020

拙訳

これはピート・ダイを取り上げるには回り道になるのだが,しかしゴルフコース設計というのは一筋縄ではいかないビジネスなのだ。ロバート・トレント・ジョーンズがピート・ダイを生み,ピート・ダイがトム・ドォークを生み,そしてちょうどそこにアメリカゴルフコース設計の90年があると言うこともできよう。そしてまた,ロバート・トレント・ジョーンズが――妻イオネのアシストを受けて――リース・ジョーンズとその兄弟ボビーを生んだとも言える。そのふたりともが,父と同様,有名な設計家だ。リースとピートは永遠に親しかった。*1

リースは私の友人のひとりで,火曜の朝に私たちは電話越しに話したが,ピート・ダイについてではなかった。ピートの死は,その日の遅くになって発表された。リースの声はスピーカーフォンから聞こえてきて,電話を切ったあと,妻が「リースは30代のような声ね」と言った。私も似たようなことを常々思っていた。リースが(イェール)大学を卒業したのが1963年。現在78歳。見た目はそうでなくても,声は若いし,考え方も行動も若い。彼の職業人生は,その若さに多く関係している。それは,肉体的かつ知的な頑健さだ。動きつづける原動力になる。*2

ピート・ダイは94歳にして,天空にある偉大なポットバンカーに向かった(数年前に彼は『Bury Me in a Pot Bunker』という本を書いている)。リースと私は木曜の夜に再び電話をして,ダイについて話した。ピート・ダイは,よく知られているように,男の子っぽかった。男の子っぽく,茶目っ気があって,陽気で,それは彼が酒を飲んでいた時代も,酒をやめてからも変わらなかった。ダイはそのまま変わらなかったのかな,と,リースに訊いた。ダイは晩年,アルツハイマー病を患っていたのだ。*3

「変わらなかったね」とリースは言った。「決して老けなかった。冗談が大好きだった。ひねるのが大好きだった。人を考えさせるのが大好きだったよ」。*4

リースはダイと Gulf Stream でプレーしたものだった。ピートと妻のアリスが改装した,南フロリダのプライベートコースだ。「最後に一緒にプレーしたとき,僕が誰かピートは分かってなかったと思うけど,自分がパーを出したのは知ってたよ」と語るリース。「ピートはパーが5つあったんだけど,そのたびに『パーだぜ!』って言ったんだ。そのとき92歳で,スコアは89だったよ」。第二次大戦のときに米軍に入隊する前,ピートはオハイオで男子生徒のゴルフチャンピオンだった。*5

ジャック・ニクラウスは16歳のときに,初めてダイに会った。ふたりはのちに,ヒルトンヘッドの Harbour Town Golf Links をともに設計した。1960年代後半のことだ。「私たちはよく一緒に行って,建設の様子を眺めたものだよ」とリースは言った。彼と彼の父は,近くにコースを建設していた。「彼がやっていたことを,私たちは分かっていなかった。とても目立っていなかったんだ」。グリーンはほとんどフェアウェイと同じ高さにあった。大きなフチはない。トレント・ジョーンズ的コースでなければ,アリスター・マッケンジー的でもないし,A.W.ティリングハスト的なコースでもない。それはピート・ダイのコースで,ジャックがそれに付随していた。多くのプレーヤーが,いいプレーヤーも悪いプレーヤーもその中間も,そのコースを愛した。設計家たちも,同様に。「狭いフェアウェイと小さいグリーンと,その周りにあるバンカーと……似たようなものは他にないんだ」。*6

そこでツアー大会が初めて開催された1969年,アーノルド・パーマーはダイに,一生の記念になる贈り物を贈った。「奴らは基本的に自分が勝ったコースを好きになる」と,リースは言った。次の10年のあいだに,ジャック・ニクラウスと,ジョニー・ミラーと,ヘイル・アーウィンと,トム・ワトソンがそこで勝った。その勝利のひとつひとつが,ピート自身と彼の評判にとっては計り知れない贈り物になった。しかし彼は,Harbour Town のようなコースは二度と作らなかった。彼のコースはどんどん難しくなっていった。彼はヘイル・アーウィンとその仲間たちに,誰がボスかを見せつけ,しかし一方で,彼自身は極めて人に好かれて人付き合いがいいままだった。*7

ディーン・ビーマンがツアー自身のためのコースを建設するために人選をして,選んだのがピートだった。その土地は,北フロリダの湿地にある,数百エーカーある選りすぐり場所。しかしピートはブルドーザーだった。彼はその土地の中にスタジアムコースを見いださなかった。オールド・トム・モリスがいつも使っていたフレーズを使うならば。ダイは泥の中からそれを掘り出した。多くの日夜を費やすことになった。近くのステーキハウスを見出す幸運はあったのだが。*8

フレッド・カプルスがコース初期の1984年に勝ち,そして96年に再び優勝した。ピートはフレッドが大好きだったが,その飛ばしっぷりは大嫌いだった。彼の創作物にとっては致命的だからだ。ジョン・デイリーも,同じ。どこまでも高く遠くにボールを飛ばせるならば,ダイの Crooked Stick コースで開催されたデイリーが1991年のPGAを勝ったときにように,ドッグレッグホールはすべてストレートホールに変わる。470ヤードのホールが,ドライバーとスピンのかかるサンドアイアンで攻められる。*9

私との会話の中で,リースは Harbour Town について何度も言及していた。そのコースは常に多くの楽しみを与えてくれて,決して古びることがないからだ(Harbour Town と TPC Sawgrass は,いずれも18ホールのコースだという点で似ている)。他のダイのコースの中でリースのお気に入りは,ドミニカ共和国の Teeth of the Dog。ダイの南フロリダの自宅から数分のところにある Gulf Stream。テネシー州チャタヌーガ近くの Honors Course。同じく南フロリダの Dye Preserve。そして,オハイオ州ニューアルバーニーの The Golf Club だ。大量の土木作業が発生したダイの一大計画 PGA West のようなコースにはあまり惹かれないリースであるが,「その役割は果たしている」とリースは語る。「不動産を売る,というね」。*10

1950年代初頭,The New Yorker 誌でハーバート・ウァレン・ウィンドによるロバート・トレント・ジョーンズの特集が組まれたあと,ピート・ダイは保険ビジネスを辞めてコース設計の道に進むアイデアを得た。新妻のアリス・ダイは,トップレベルのアマチュアゴルファーだった。「アリスは私の父に,ピートを雇えないかと尋ねたんだ」とリースは語る。「決してそうしなかったが」。しかし彼らは会話を交わし,情報を交換し,そしてお互いに自らの道を歩んでいった。*11

ロバート・トレント・ジョーンズは,ロバート・タイアー・ジョーンズとオーガスタナショナルから多くの着想を得ている。トレント・ジョーンズは第二次大戦後にそこで重要な仕事をし,大きなコースをいくつか設計した。フェアウェイは空港の滑走路のように広く,グリーンはホワイトハウスの芝生のように大きく,バンカーはジョーンズビーチのように巨大なものを。ピート・ダイはその中の何ひとつ欲しくなかった。彼は彼自身でありつづけた。*12

「ピートのアートは,彼が道を外れたかったこと,彼が何か違ったことをしたかったこと」と,リースは語る。リースは Kiawah コースを眺めるのが好きだ。サウスカロライナの沿岸にあるコース。みんながそうであるように。ゴージャスなんです! しかし風が吹くと,コースはプレー不可能になりうる。「あの砲台グリーンがあって,パットができなくなるような日もある,だけどアリスが海を見下ろしたかったんだ」。海が見える,いいですね。Whistling Straits もまた,18枚の葉書だ。ボールひとつでプレーできる? そう,あなたの名前がジェイソン・デイならば。*13

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Pretty though it may be, the Ocean Course at Kiawah Island is one of the toughest out there.

「プレーヤーたちがピートを批判したとき,彼は「ありがとう」とだけ言った」とリースは語る。君は正しいことをしてるよと,ピートに言ってるようなものだ。「ピートのコースはハードだ。ハードで,見た目にも興奮させられる」。*14

ライターとプレーヤーたちは,ピート・ダイのコースに対する言い回しを思いついた。ピート・ダイのグリーンにボールを乗せるのは,「フォルクスワーゲン Bug のフードにボールを乗せようとするもの」。この「今日のひとこと」の発明は,ピートの臨終までつきまとった。「極悪非ダイ(Dyeabolical)」。今日,超々々タフは売りにはならないし,それを売りにしたいとも思わないだろう。みんなが求めているのは,実際にプレーできるコースだ。しかしピート・ダイがその力の頂点にいたとき,Harbour Town のはるかあと,苦しんだ末の90打はスポーツ的な楽しみだと考えられていたのだ。そういう時代だったし,それはピート・ダイのものだった。*15

ピート・ダイの写真を見ると,どの時代のものであっても,彼は人生最高の瞬間を送っているように見える。妻と私はハネムーンで Caso de Campo に行き,私は Teeth コースをプレーした(私たちはキャディから,エビアンのボトルに入った闇市場のガソリンを買って,ガソリン不足になっても島を探索できるようにしたものだ)。ダイはそこに見事な茅葺屋根の家があって,パテオにいるダイの姿を何度か目にしたのを覚えている。いい人生を楽しんでいて,オハイオ州人のスタイルだった。ジャック・ニクラウスとその一家は,ツイッター上でピートにとても優しく,それについてすべてを語ってくれる。ステーキ,ビール,ジョーク,テレビ観戦。*16

最後にピート・ダイに合ったのは,もう10年ほど前のことだ。私は友人と Gulf Stream でプレーしていた。Bill Beinecke という人が私たちのホストだった(Beinecke氏は90代半ばで,健康そうに見えた)。ラウンドの終盤,その日の遅く,ひとりの男がカートに乗ってコースを走っているのが見えた。犬とゴルフボール拾い器を伴って。ピート・ダイ翁が,自身のコースをチェックしていたのだ。ピート翁は,愉快な時間を過ごしていた。*17

*1:This is a roundabout way to get into Pete Dye, but golf-course architecture is a round-about business. You could say that Robert Trent Jones begat Pete Dye and Pete Dye begat Tom Doak and right there you have 90 years of American golf-course architecture. You could also say that Robert Trent Jones — more than ably assisted by his wife, Ione — begat Rees Jones and his brother, Bobby. Both, like their father before them, are noted architects. Rees and Pete were close forever.

*2:Rees is a friend of mine and on Thursday morning we were talking by phone but not about Pete Dye, whose death was announced later in the day. Rees was on speakerphone and after we hung up my wife said, “Rees sounds like he’s 30.” I have often thought something similar. Rees graduated from college (Yale) in 1963. He’s 78. He doesn’t look young but he sounds, thinks and acts young. His working life has a lot to do with it. It’s physically and intellectually vigorous. It keeps you moving.

*3:Pete Dye was 94 when he went to that great pot bunker in the sky. (He wrote a book years ago called Bury Me in a Pot Bunker.) Rees and I got on the phone again Thursday night, to talk about Dye. Pete Dye was famously boyish. Boyish, impish, fun, in his drinking days and after he stopped, too. I asked Rees if Dye had ever lost those qualities. Dye had Alzheimer’s in his final years.

*4:“He really didn’t,” Rees said. “He never got old. He loved to joke. He loved to tweak you. He loved to make you think.”

*5:Rees would play with Dye at Gulf Stream, a private course in South Florida that Pete and his wife, Alice, had renovated. “The final time we played, I don’t know if he knew who I was but he knew when he made a par,” Rees said. “He made five pars and after every one he’d say, ‘I made a par!’ He was 92 and he shot 89.” Before he enlisted in the U.S. Army during World War II, Pete had been a schoolboy golf champion in Ohio.

*6:Jack Nicklaus was 16 when he first met Dye. They designed Harbour Town Golf Links in Hilton Head together, in the late 1960s. “We would go over and take a look at it while they were building it,” Rees said. He and his father were building a course nearby. “We didn’t understand what he was doing. It was so low-profile.” The greens almost at the same height as the fairway. No big lips. Not a Trent Jones course, not an Alister MacKenzie, not an A.W. Tillinghast course. It was Pete Dye course, with Jack attached to it. Many players, good, bad and in between, love that course. The architects do, too, “because of the tight fairways and the small greens and the way the bunkers wiggle around them — there’s really nothing like it.”

*7:The first time there was a Tour event there, in 1969, Arnold Palmer presented Dye with the gift of a lifetime. He won. “Guys tend to like the courses where they win,” Rees said. Over the next decade, Jack Nicklaus, Johnny Miller, Hale Irwin and Tom Watson won there. Every win was an enormous gift to Pete and his reputation. But he never built a course like Harbour Town again. His courses got harder and harder. He was going to show Hale Irwin and Co. who the boss was, even while he remained eminently likable and a fun hang.

*8:When Deane Beman was looking for a somebody to build a course the Tour could call its own, he chose Pete. The land was a few hundred acres of choice North Florida swamp but Pete had a bulldozer. He didn’t find the Stadium Course in the land, to use the phrase Old Tom Morris always used. He dug it out of the muck. There were a lot of long days and nights, though good luck finding a nearby steakhouse in those days.

*9:Fred Couples won there early, in 1984, and then won again there in ’96. Pete loved Fred but loathed how far he hit the ball — it was killing his creation. John Daly, the same. When you can drive it high and forever, like Daly did when winning the 1991 PGA Championship at Dye’s Crooked Stick course, you make every dogleg hole a straight hole. Four-seventy becomes a launched driver and a spinning sand iron.

*10:In our conversation, Rees kept returning to Harbour Town, because it has always been so much fun to play and it never became obsolete. (Harbour Town and TPC Sawgrass are similar in that each course has 18 holes.) Rees’s other favorite Dye courses are the Teeth of the Dog in the Dominican Republic; Gulf Stream, minutes from the Dye’s South Florida home; the Honors Course near Chattanooga, Tenn.; Dye Preserve, also in South Florida; and The Golf Club, in New Albany, Ohio. He is less enamored of Dye’s big earth-moving projects like PGA West, “but they serve their purpose,” Rees said. “To sell real estate.”

*11:In the early 1950s, after Robert Trent Jones got a big write-up in The New Yorker by Herbert Warren Wind, Pete Dye had the idea of getting out of the insurance business and into course design. Alice Dye, his young bride, was a top amateur golfer. “She asked Dad to hire Pete,” Rees said. “He never did.” But they talked, they compared notes, they very much did their own thing.

*12:Robert Trent Jones took great inspiration from Robert Tyre Jones and Augusta National. Trent Jones did significant work there after World War II, and he built courses that were big: fairways as wide as airport runways, greens as wide as the White House lawn, bunkers as big as Jones Beach. Pete Dye wanted none of that. He was always his own man.

*13:“Pete’s art was that he wanted to deviate, he wanted to do something different,” Rees said. Rees likes to look at the Kiawah course, in coastal South Carolina, just like everybody else. How can you not? It’s gorgeous! But in the wind, it can be unplayable. “He’s got these high, exposed greens, impossible to putt some days, but Alice wanted to look down and see the ocean.” You can see the ocean, all right. Whistling Straits is 18 postcards, too. Can you play it with one ball? Sure, if your name is Jason Day.

*14:“When the players criticized Pete, he said, ‘Thank you,’” Rees said. It told him he was doing something right. “Pete’s courses are hard. Hard and visually exciting.”

*15:Writers and players came up with phrases for Pete Dye courses. Trying to hit a ball on a Pete Dye green “is like trying to keep a ball on the hood of a VW Bug.” This word-of-the-day invention followed Pete to his deathbed: Dyeabolical. You can’t sell tough-tough-tough today and you wouldn’t want to. People want courses they can actually play. But when Pete Dye was at the height of his powers, long after Harbour Town, torturing 90-shooters was considered sporting fun. It was an era and Pete Dye owned it.

*16:If you look at photos of Pete Dye from anytime in his career, he looks like he’s having the time of his life. My wife and I went to Caso de Campo on our honeymoon and I played the Teeth course. (We bought black-market gasoline in Evian bottles from a caddie so we could explore the island during a gas shortage.) Dye had a spectacular thatched-roof house there and I remember various Dyes on the patio, enjoying the good life, Buckeye style. Big Jack and family, so generous to Pete on his Twitter feed, can tell you all about that. Steak, beer, jokes at your expense, the game on TV.

*17:The last time I saw Pete Dye was about decade ago. A friend and I were playing Gulf Stream. A man named Bill Beinecke was our host. (Mr. Beinecke was in his mid-90s and looking good.) Late in the round and late in the day, we spotted a man in a golf cart driving along the course, accompanied by a dog and ball retriever. Old Pete Dye, checking out his course. Old Pete, having himself a big time.