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ぜんぜんわからない 俺たちは雰囲気でゴルフをやっている

トム・ワトソンがターンベリーでの敗戦で学んだもの|Golf Digest

個人的には忘れられない,2009年の全英オープン*1。当時59歳のトム・ワトソンが,優勝まであと一歩のところまでいったやつ。

その敗戦直後に,ワトソンが Golf Digest に語ったところをまとめたのが,この記事だそうです。

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ソース

British Open 2019: What Tom Watson learned from Turnberry - Golf Digest by Bob Verdi, 9 July 2019

拙訳

私がターンベリーでの全英で得たもの。それは,その他多くのいろんな感情と合わせて,仕事を成し遂げられなかったことによる本当の心の痛みだ。それがあらゆる競技における最終目標だからね。72ホール目で私はいいショットをふたつ打ったが,結果につながらなかった。リンクスゴルフでは起こりうることだ。全英と全米シニアオープンとのあいだで得たのは,消化器系の不良。そこで食事をとったんだが,私のキャディのニール・オックスマン(Neil Oxman)がこう警告したんだ。「イギリスでは中華かピザを食べるな」って。私は中華にしたよ。

1973年のセントルイスでニールがブルース*2に私を紹介したとき,ニールは Labron Harris Jr についていた。そこから私たちの長年にわたる関係が始まったんだ。ターンベリーでブルースは天国から私たちを見下ろしていたよ。私にはそれがわかっていた。ターンベリーで起こったスピリチュアルな経験の一部だね。「トム,もういっちょいけ。みんなが忘れられない一発をかませ。日暮れになる前にな」って。

セルジオ・ガルシアは木曜日と金曜日に同じ組で回った。1ラウンド目はまったく風がなかったけど,2ラウンド目で,フロントナインは難しくなるだろうと分かっていた。私はそれにうまく対処できなかったけど,セルジオがやってきてこう言ったんだ。「がんばろうぜ,爺さん」って。いい感じにね。ちょうど私が苦戦していたときに。それに救われたね。

土曜日を終わって首位に立ったけど,心臓が飛び出るほど驚きはしなかった。ティーショットをフェアウェイに置くことを心がけた。タイトなライからのショットは昔ほど良くはなくなってる。いまでは少し薄く打っている。でもティーからのパンチショットには自信があるし,練習ラウンドでもうまくいっていた。風の中でのプレーは上手い方だと思う。他のことはともかく,そこは失わない。

1年前にグレッグ・ノーマンが成し遂げたことを覚えていた。53歳で,全英の日曜日に1打差でトップに立った。私はABCの放送席にいた。彼が上手くできない理由はないと,私は言った。私は2009年も同じようにTVの放送席からターンベリーを見る予定だったが,最終組にいたら放送席にいられるチャンスはまずないね。

土曜日の夜,最終日を前にしてよく眠れたよ。私のゲームプランは,最後の18ホールでボギーより多くのバーディをとること。それで勝てると思っていたし,実際にそうなっていたが,でもそのとおりにできなかった。実際にはボギーがバーディよりふたつ多かった。日曜日には緊張していたが,普段と違うことは何もなかった。それはいい緊張感だった。土曜日は面白い日だった。自分自身で感じる限りでは,メジャーであれほど穏やかにプレーしたことはなかった。神経が焼け焦げちゃったとラウンド後に冗談は言ったけど,それはただの冗談でしかなかったんだ。

日曜日に耳にしたのは,最終組で18番ホールのグリーンに向かっているときに,マシュー・ゴギンが私のために拍手をしていたこと。それから,明らかに,スチュワート・シンクがプレーオフの18番ホールで同じことをした。見はしなかったね。ただ耳にしただけだ。それがゴルフというゲームだ。ゴルフというスポーツは独特で,プレーヤーたちの振る舞いがあって,ゲームに対するリスペクトがある。ジャック・ニクラウスは素晴らしい敗者だという評判が常にあった。いい意味でね。敗れたら,自分をやぶった相手に敬意を表して帽子を脱ぐ。彼が1977年のターンベリーでそうしたように。それができなかったら,そのプレーヤーには何か問題があるということだ。多くのスポーツは食うか食われるかの争いだけど,ゴルフは違う。相手を打ち負かそうとはするけど,また違うんだ。

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私がいっぱい笑っていたと,人々は言った。たぶん,他のどのプレーヤーよりも笑っていたと。すべてのグリーンで私が受けた歓待を考えれば,そうできないわけがないだろう。

もしひとつだけやり直せるなら? たぶん72ホール目のセカンドショットを8番アイアンで軽く打つ。フロントまでは170ヤード,右のフロントまでは164ヤードで,そこでグリーンが切れるから右には打ちたくなかった。だからフラッグに向かって打った。自分のショットがどこに向かったかよく見えなかったんだが,ABCコメンテーターのアンディー・ノースは,グリーンに1フィート乗ったところに落ちたといった。グリーンに止まっただろうとみんな思うだろうが,頂点はグリーンの中でもっとも乾いている場所だった。

日曜日18番ホール,グリーン奥のカラーから,「最悪のパットは最悪のチップよりまし」というセオリーに私は従った。それまでチップはうまくいってたけれど,ボールは沈んでいたので,草が噛んでショートするかもしれない。アップヒルのライで,向かい風だった。芝は逆目。問題は,ボールが跳ね始めたこと。そんなライから跳ねて,強く出た。

いちばん落胆したのは,入れれば優勝というパーパット。月曜日の練習ラウンドで,パッティングのストロークを少しいじった。狙いは,もっとまっすぐ引いてまっすぐ出すストロークにすること。その週を通じて,だいたいはそれを意識してパットできたし,8フィートのパーパットでもそのことを意識した。まっすぐ引いて,まっすぐ出す。やってきたことをやるだけ。意識したことを意識するだけ。しかし,少しだけインサイドにクラブを引いてしまって,スクエアに当てることができなかった*3。左手でブロックしてしまった。リリースできなかった。バカみたいだ。リプレーを見たくないと言ったけれど,でももしかしたら見るべきかもしれないね。次に同じことをしないように。バカみたいだ。

ヒラリー(ワトソンの妻)は,そのパットのときに目をつぶっていたんじゃないかな。見るに堪えなかったと思う。それで良かったんだろうね。指定されたパターを使った方がよかったのかもしれない。すべてが終わったとき,ヒラリーは私のところにきて,ハグして,こう言ってくれた。「やれるだけのことはやったよ」。だけど,自分の子供のような年齢のプレーヤーたちに勝つチャンスは,もう訪れないかもしれない。

風の中でプレーするときは,ショットの前にふたつのクラブを心に抱かなければいけない。少なくとも私はそうしているし,72ホール目の2打目は9番アイアンも考えた。ピンは20ヤード奥。9番と8番とのあいだの距離が残っていた。最終的に8番アイアンを選んだし,考え直しはしなかった。9番で打っていたらどうなっていたかは分からないけれど,それがミスだったとは思わない。

ジャックもそうだった。日曜夜のディナーで私を呼び止めて,優しい言葉をかけてくれた。ジャックいわく,「ティーショットもセカンドも完璧だったし,グリーン奥からパットしたのも正しい選択だった」。それが,私の心を少しだけ癒やしてくれた。ジャックがそう言ってくれたんだ。ジャックは,日曜日のラウンドのすべてをテレビで見ていたという。彼が決してしないであろうことだ。すごいよね。その週のほとんど,私はバーバラとやりとりをしてた。携帯電話のテキストメッセージで。彼女は強調してた。ジャックと私はあなたを応援してるよって。あなた,最高にかっこいいわよって。それもまた,素敵なことだった。

ジャックとバーバラはそこにいた。1994年,私が敗れたあとに(ワトソンは1打差の首位で最終日を迎えたが,最終日74で11位タイに終わった)。私たちはターンベリーホテルの前にある小さなピッチ&パットコースに行った。辺りが真っ暗になるまでプレーして,そこにはジャックと私,そしてお互いの妻がいるだけだった。いい時間だった。スコアをつけたりとかはしなかったし,勝者も敗者もそこにはいなかった。ただただ,いい時間が流れていた。

その敗戦が私の心を痛めつけたのと同じぐらい,そこにいた人たちの気持ちも想像することができた。彼らにとっても,偉大な物語になったかもしれない。プレステントに入っていったら,浮かない顔をしたやつらばかりだった。だから私は言ったんだ。「おい,葬式じゃないんだぞ」って。

競技の興奮は計り知れなく,その週のターンベリーでプレスや同僚たちから感じたバイブスは,決して忘れることができない。結局は,勝つよりも負けることの方が多いんだ。はるかに多い。ボビー・ジョーンズが言ったように,「勝利からは何も学ばない。学べるのは,敗戦からだけだ」。魔法のような週だった。もしかしたら,大きなことを成し遂げる最後のチャンスだったかもしれない。そんな温かな感情が,少しだけ痛みを和らげてくれた。私は恐縮した。多いに恐縮した。

しかし,最後に残るのは結果だ。59歳がなんとかしがみついて頑張ってとてつもない物語を完成させるところだった,なんてのは関係ない。ともあれ素晴らしい物語だったよ,と言ってくれたライターも何人かいた。「おおむね」ね,と私は言った。もう少しで手に入れられて,冷静だったし,緊張もしていなかった。だけど掴みそこねた。そしてプレーオフでは,戦いにならなかった。4日間を通してより,4ホールの方が悪いスイングが出た? 確かにそう見えた。ただひとり仕事を成し遂げた。大会を通じて,とても穏やかな気持ちでいられたけれど,最後にやってきたのは,深い深い失望だった。

その夜,Wildingsというレストランに行った*4。ヒラリーと私と,友人数名で。素晴らしいところだった。その週,5回も行ったところだ。店に入ると,みんな立ち上がってくれた。最高だったね。素敵な食事を終えて,少しサインをして,写真も撮った。

次の日,ロンドンに向かう飛行機の中で,また素敵な歓迎を受けた。だけど,日曜の夜は辛かったね。人間なら誰しも,「たられば」を考えるものだ。どうしても失敗に目が行ってしまう。ラッキーなこともあったはずなのに。成功した60フィートのパットより,失敗した8フィートの方が心に浮かぶものだ。

どうしてそんなに多くの人が私のメールアドレスを知っているのか,よく分からない。もしかしたら,人生の中で一度だけ連絡をとった人たちかもしれない。もちろん,友達からもメールが来たよ。サンディー・テイタム,ラッシュ・リンボー,バーバラ,そしてジャック。だけど連絡をとっていない人たちから,数百ぐらいのメールを受け取った。

息子のマイケルは,気難しい子だ。26歳で,カンザスシティで法人相手の不動産関係の仕事をしている。次の月曜日に電話をしたら,彼は泣いていた。そこで会話をやめた。そして10分後にまた電話して,こう言って聞かせたんだ。たかがゲームだよって。それまでは私も泣いていたが,そこからは泣かなかった。2年前にイラクのUSOツアーであった連中から,メッセージをもらった。私はそれに影響されたし,いまでもされている。それ以来,片腕の人たちとプレーしている。そこで両足を失った人たちもいる。彼らがやっていることは,究極のプレッシャーだ。それはゲームではない。8フィートのパットなんか比べ物にならない。

つまりは,ターンベリーではいくつもパットを決めた。タップインだけじゃなく,6フィートとか10フィートとかのを。もしティーからグリーンまで望む通りにプレーしても,パットが決まっていなかったら,1994年のようになっていただろう。その年のターンベリーではニック・プライスが勝って,それは今年以上にがっかりした。72ホール目のパットを外した今年よりも。1994年,チャンスはいっぱいあった。とにかくパットがひどかった。

リンクスコースでは,プレーは均一化される。いいプレーができなかったら,草の中に打ち込むだろう。なので,59歳があやうく勝ちそうだったからといって,若い世代に悪い印象を与えるとは思わない。スチュワート・シンクが勝った。彼はプレーオフで私を打ちのめした。そして,彼に向かうべき称賛がそれほど起こらなかったことを,私は気の毒に思った。いいヤツ,信念,家族。やるべきことをやった彼。すべてが終わったとき,彼に言ったんだ。「似合ってるよ,楽しんで」。舞台の中にいる人間だけが,そのことを知っている。

私のターンベリーでの活躍には道具の進化のおかげもあるというのも,ない話ではない。ボールは前より曲がりにくくなったし,飛ぶようになった。間違いなく,リンクスではストレートボールが望ましい。日曜日,11番でバーディーをとったあと,12番のティーショットは左に行った。だけどボールは観客に当たって一難を逃れ,完璧なライにドロップし,4番アイアンでグリーンをとらえた。大会を通じて,フェアウェイバンカーに入ったのは数回しかないと思う。ハイブリッドでのティーショットは25回。Adamsの18度だ。私の相棒だね。それも道具の恩恵かな。2番アイアンで同じことができなかたっとは言わないけど,ハイブリッドよりは打つのが難しいからね。テクノロジーだよ。

オーガスタナショナルでは,同じようにして道具の力を借りられない。だから私は,オーガスタではお飾りのような出場者だと言っているし,コースがしっかりしすぎていていいプレーをするのが難しい。マスターズでは5番ホールを攻められないし,14番も17番も難しい。グリーンに止めるにはショートアイアンでセカンドを打たなきゃいけないが,それほどの飛距離がない。ターンベリーでは,グリーンにボールを転がして乗せることができる。だけどオーガスタではそれが通用しない。しかし,オーガスタがそうするのには理由があるし,マイク・ウィアとかザック・ジョンソンとか,飛距離のない奴らも勝っているしね。だけど,ターンベリーでいいプレーができたからといって,オーガスタに対する私の考え方は変わらないよ。

タイガーについて聞かれた。彼のプレーはどうだったか,どうして彼は予選落ちしたのかと。えっと,彼のプレーはどうだったか分からないんだ。いちども彼のプレーを見なかったからね。リンクスで調子が悪かったら,いいプレーができなかったら,トラブルに陥る。誰であろうとも。もし世界ランキング1位のプレーヤーでも,やりたいスイングができなかったら,ひどいところにボールが転がっていく。それが,プレーオフ3ホール目の17番で私に起こったことだ。そう,私はがっかりしていたよ。72ホールで勝てなくて。だからといって,それ以上プレーする準備ができていなかったわけじゃない。だけどそのホールでは,横風の中で球を上げようとしてティーショットを打ったけど,クラブのコントロールができなくなった。重要な場面でフックして,左のラフへ。万事休すだ。プルフックでラフに入ったら,もうほとんど終わったようなものだ。

シニアツアーで大した活躍もできていないやつが,59歳で全英に出て子供たち相手にあわや勝つところだったなんて,そんなことがありえるか? 分からない。秘密工作? 私に何が言えようか。コースとの相性というものがあるし,私はターンベリーに着くやいなや,いい感覚が得られたんだ。

ターンベリーのときのようにときどき活躍できる理由のひとつは,私のフィジカルにあると思う。親のおかげだね。あと,葉巻を吸うのをやめたんだ。前は吸いすぎていた。コースでじゃないけど。だけど1日に8本とか10本とか吸っていた。肺までは吸い込んでいないけど,私の祖父は咽頭癌で亡くなったんだ。

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1982年にペブルビーチでの全米オープンで勝ったとき,私の体重は175ポンドぐらいだったと思う。今は180ポンド。去年の10月に左臀部の手術をして,それがうまくいっている。動きがよくなったんだ。ゴルフにどれぐらいいきているかは分からないけど。生活の質を上げるために手術を受けたんだ。痛みで眠れないことがあったけれど,もうそれもなくなったよ。

もう酒は飲んでない。4-5年前に,ばっさりやめたんだ。葉巻と同じでたくさん飲みすぎていたし,飲んでいるときの自分が好きじゃなかった。酔ってる人のそばにいるけど,いても楽しくないってことがあるでしょ。お前もそうだって,友達に言われたんだ。子供たちが何を言ったかは覚えていない。だけど友達がそう言ってくれたし,友達とはそういうものだ。シラフのときは世界の見え方が変わる。びっくりするよね。酒が恋しいとは思わない。まったく思わないね。

私のスイングはずっと同じように見えるかもしれないけど,実際にはそんなことはない。かつてのような体の柔軟性は,もうない。スイングアークもだいぶ小さくなった。左腕も少し曲がるようになったし。本当にゴルフクラブのスイングの仕方を覚えたのは,1994年だ。それまでも少しは成功していたけれど,1994年に,コツを見つけたんだ。サム・スニードが言ったように,みんなそれぞれのコツがある。もしひとつのコツがうまくいかなくなったら,別のコツを探しにいく。1994年のサウスカロライナ州,ヒルトンヘッドのHeritage Classicで,火曜日の午後3時15分,練習しているときに私はそのコツを見つけたんだ。そのとき私は,秘訣を見つけたんだ。ボールへのアタックの仕方だね。その週は勝てなかったけど,でもやっとたどりついたことが分かっていた。それまで,インサイドアウトでトウ側が深いディボットを掘るようにボールを打つことに,飽き飽きしていたんだ。そしてコーリー・ペイヴィンの素振りのようにスイングするように決めたんだ。インパクトで左に振り抜くように。

そうするようになってすぐに,完璧なボールが打てるようになった。ディボットはまっすぐで,右肩の感覚が別物になった。ボールに低く入っていくというのではない。むしろショルダープレーンに関するもので,バックスイングとダウンスイングでのプレーンを同じにしようとしたんだ。私はいつもバックスイングを練習してた。そして,フラストレーションの中から,うまくいく何かを見つけたんだ。

土曜の夜にピーター・ドーソン(当時のR&Aチーフ)のもとの駆け込んだんだ。その週の記者会見で,全英オープンの出場年齢制限(過去優勝者も60歳を越えると出場できない)について聞かれたとき,ピーターにメッセージを届けるのは君たちプレスの役割だよってほのめかしたんだ。顔を合わせて,ピーターはこう言ったんだ。「トム,君が明日勝てば,この議論をチャラにすることができるんだよ」。つまり優勝すれば,60歳にして,向こう10年間の出場権を手にすることができる。彼は正しいし,R&Aのやっていることにも同意する。年齢制限はあるべきだ。若いプレーヤーに出場の権利を与えるために。*5

ターンベリーのあとで息子のマイケルは私にこう言った。シニアじゃなくレギュラーツアーに戻って,若い奴らと一緒にプレーすべきだってね。その話はよそうぜって言ったよ。調子に乗るのなよって。来年のセントアンドリュースで,息子は私のキャディをしてくれるよ。ターンベリーには出られなかったけど,2010年にはその場にいるんだ。そして,セントアンドリュースは私にとって最後の全英になるだろう。もし……,何が起こるか分からないけど。ちょっと風が吹けばいいな。またヤバいことをしようとする,それを止める法律なんてないだろ?

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*1:なぜそれほど忘れられないかをここで記すことはできませんが

*2:ブルース・エドワーズ。ワトソンのキャディを長年努め,2004年にALSで死去

*3:訳者注:実際,このパットは右にショートした

*4:Wildings Restaurant and Hotel | Hotel Ayrshire | Home

*5:原注:2009年11月,R&Aは規則を変えて,過去の優勝者は年齢に関わらず, 10位以内に入れば向こう5年間の出場権が得られるとした。これによりワトソンは2014年までの全英に出場できる。