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メジャーで最高齢の優勝者は誰か?

この記録については,2009年の全英オープン@ターンベリーで話題になりましたね。しかし,そのときトム・ワトソンが戦っていた記録の持ち主がオールド・トム・モリスだったとは。

ソース

Who is the oldest Major winner by tournament? - Golf Monthly

概要

各メジャーでの最高齢優勝者の記録は,以下のとおり

全米プロゴルフ選手権|ジュリアス・ボロス|48歳|1968年

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ジュリアス・ボロスは会計士で,20歳のときにゴルフを始めた。29歳でプロ入りし,その3年後,1952年の全米オープンを4打差で制し,プロとして最初のタイトルを手にした。

ボロスは,そのリラックスしたスイングで有名だった。彼のモットーは,「swing easy, hit hard」。そして,プレーの早さでも知られた。彼は素振りをせず,そしてめったにグリーンの上で立ち止まらなかった。いわく,「ボールのところまでたどり着くまでに,すべきことが分からないのなら,他のスポーツをした方がいい」

彼は1963年にも,43歳で全米オープンを制している。 72ホール終了時点でボロス,Jacky Cupit,アーノルド・パーマーが9オーバーで並び,18ホールのプレーオフを制しての優勝だった。

1968年の全米プロゴルフ選手権を制したことで,彼は全メジャーの中での最高齢優勝者となった。翌月に彼は Westchester Classic で優勝,当時としては最高の賞金を手に入れた。

これが,彼にとって最後のツアーでの優勝となった。しかし,そうはならなかった可能性もあった。53歳で,ボロスは全米オープンで残り10ホール時点で首位タイ,結果的に7位で終わった。1975年の Westchester Classic では,プレーオフで敗れている。

マスターズ|ジャック・ニクラウス|46歳|1986年

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1986年のマスターズ時点で,二クラウスは2年間勝利がなく,メジャーでは6年間優勝から遠ざかっていた。「そのときどうしてゴルフをしていたのか,自分でも分からない」と,数十年後に二クラウスは振り返っている。「ゴルフをやめたくはなかったが,特に目標を持っていたわけでもない。あの時点で私がトップ争いをするなんて,誰も予想していなかった。私ですらしていなかった」。

3日目までのスコアは,74,71,69.トップのグレッグ・ノーマンとは4打差の9位タイで,二クラウスは最終日を迎えた。

最終日の二クラウスは,8ホールを終えて1バーディー1ボギーのイーブンパーのスコア。トップ争いにからむ予兆はなかった。しかし,9番ホールでバーディーを奪い,何かに火がついた。バックナインでチャージをかけ,30ストローク。17番でバーディーを奪ったとき,彼は初めてトップに立った。

セベ・バレステロスは15番でウォーターハザードに打ち込み,17番では3パット。トム・カイトは18番で決定的な12フィートのバーディーパットを外した。それまで4連続バーディーを奪っていたノーマンは,二クラウスとのプレーオフに持ち込むためにパーが必要だった18番のアプローチをギャラリーに打ち込み,ボギー。二クラウスは1打差で勝利した

全英オープン|オールド・トム・モリス|46歳|1867年

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1821年,セントアンドリュースに生まれたオールド・トム・モリスは,Allan Robertson の見習いとなった。Robertson は,St Andrews Links を運営し,ゴルフ道具を製造していた。彼は,当時最高のゴルファーと見なされていた。

オールド・トム・モリスははすぐに,当時2番目のベストゴルファーと見なされるようになる。彼とその雇用主がペアを組んでフォーサムをするときは,ハンデ無しでは彼らは負けなしと言われた。

Robertson は1859年に44歳で亡くなり St Andrews Cathedral に埋葬された。その碑銘には,こう記されている。「彼はその資産で知られ,そして長年スコットランドのゴルフ王者として知られた」。

1860年,新たな「Champion Golfer」を決めるべく,最初の全英オープンが開催された。オールド・トム・モリスは,1860年の最初の高いの最初のショットを打った。彼は参加した8人のプロにまじり,2位となった。

翌年,複数のアマチュアが招待され,全部で18人による争いとなった。オールド・トム・モリスはその年優勝し,そして1864年と1867年にも勝利をおさめている。

最後の優勝の翌年,オールド・トム・モリスは準優勝に終わっている。そのときに優勝は,当時17歳,オールド・トム・モリスの息子のヤング・トム。その記録は,メジャーの最年少記録として残っている。

全米オープン|ヘイル・アーウィン|45歳|1990年

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アーウィンは4歳のときのゴルフを始め,14歳のときに初めて70を切った。

彼のメジャー3勝は,すべて全米オープンでのものだ。最初が1974年,29歳のとき。次が1979年,そして1990年。

1990年の勝利は,45歳のスタミナの勝利だった。アーウィンは72ホール目に45フィートのバーディーパットを沈め,マイク・ドナルドとの18ホールのプレーオフに持ち込んだ。18ホールで決着がつかず,勝利はサドンデスとなった。

アーウィンはサドンデスの最初のホールで勝利,実に91ホール目で勝負を決めた。