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トム・ワトソンはプレーヤーに負け,マギンリーはライダーカップに勝利した|Golf Digest

すごい長い文章だけど,ライダーカップ後に出た記事の中ではいちばん読み応えがありました。「ミケルソンがトム・ワトソンを批判してどうのこうの」とかいうのはゴシップ的観点からはもちろん面白いけど,それよりも賞賛されるべき(あるいは読まれるべき)は,「いかにマギンリーが勝つべくしてライダーカップに勝ったか」ということだろうと思うのです。

もちろんリンク先の文章を全部訳すのはたいへんなので,とかいいつつ,やってみようかな(わからないところは端折りますが)。

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ソース

Paul McGinley and Tom Watson's Methods Differed In Every Meaningful Way At Gleneagles | Golf World | Golf Digest by Shane Ryan, 29 September 2014

拙訳

2年ごとに,ライダーカップごとに,同じ質問がわきあがる。キャプテンの意味って本当にあるのか? あるいは,キャプテンはただの象徴的なお飾りであって,最終的な結果には何の影響もないんじゃないか? グレンイーグルスの土曜日が終わり,アメリカチームが2日間の崩壊で動揺している段階で,その答えはもはや疑いのないものになった。

グレアム・マクドウェルとビクトル・デュビッソンが,土曜日午後のフォーサムの最終組としてチームキャプテンのポール・マギンリーから送り出されたが,彼らの試合は2番めに早く終わった。そのパートナーシップは6ヶ月以上もかけて築きあげられたが,その始まりは,デュビソンがアクセンチュアマッチプレー選手権で準優勝した2月に始まった。その結果により,24歳のデュビソンは注目の的となり,ライダーカップ入りの可能性が大幅に高まった。マギンリーは,2013年1月にキャプテンに指名されて以来,その役割を異常なまでに熱心かつ実直に果たしてきたが,その若いフランス人プレーヤーを理解することを自らの仕事と定めた。

デュビソンは,理解しやすい人間ではない。彼の私生活に関するストーリーを知るにつれ,「複雑だ」という印象を抱くことになるだろう。彼は極端なまでに内にこもるし,ひどくシャイである。たとえば,「ゴルフコース外での趣味はなんですか?」といったような無害な質問に面したときですら,居心地が悪くなるほどに。フランスゴルフ界の長老でありビクトルのメンターでもあるトーマス・レベによると,デュビソンは,トーナメント最終日の戦いの場にいるより,記者会見の場にいる方が緊張するという。彼のフランスとの関係は岩のごとく,彼の対人のふるまいはときにエキセントリックで,彼の養育は,10歳から12歳のあいだに学校をやめたことも含めて,ミステリアスであったようだ。

このような謎を解決することは,マギンリーとって厄介な課題となった。だが,時間と辛抱を重ね,デュビソンが現れると知っていたトーナメントなどに顔を出すことで,マギンリーはその壁を壊し,デュビソンの信頼を得て,そして学んだことのすべてをマクドウェルに伝えた。それは,彼が思い描いていたパートナーシップだった。つまり,とびきり頭のキレるベテランのリーダーが,その経験を活用して,若くいきいきしたライジングスターを育てること。まもなくマクドウェルもデュビソンと親しくなった,あるいは,少なくともそのパートナーシップを快適なものにするには十分親しく。デュビソンとマクドウェル組がキーガン・ブラッドリーとフィル・ミケルソン組にライダーカップで初めて土をつけた金曜午後に,マギンリーのハードワークは実を結んだ。

彼らの土曜日の対戦相手は,約30時間のあいだに3度めの18ホールマッチを終えたばかりのジミー・ウォーカーとリッキー・ファウラー。グレンイーグルスのセンテナリーコースは歩きづらく,果てしなく丘が続き,ホール間は長い。そういった要素に加え,ウォーカー・ファウラー組のマッチはすべて,引き分けで終わったエモーショナルな長旅だった。さらに,ワトソンはそのふたりを最後に送り出した。それは金曜日を同じく,休養をとったマクドウェル・デュビソン組との対戦の可能性が高かった。

ワトソンが行なった決断は,あたかもチームにハンディを与える意図があったかのように混乱したものであった。それは,ワトソンがキャプテンピックを決めた前日に端を発する。Golf Channel の Jason Sobel のレポートによると,ワトソンは選考過程に近い人物に対して,最後のピックはウェブ・シンプソン以外のプレーヤーになることを伝えた(Sobel はその第3のプレーヤーの名前を明かしていない)。次の朝早く,午前4時半,ウェブ・シンプソンはワトソンにテキストメッセージを送り,チームメンバーにしてくれるよう,最後の切実な想いを伝えた。ワトソンは返事を返し,ふたりは電話で会話を交わした。シンプソンは自らを売り込み,そしてそれが奏功した。ワトソンは決断をくつがえし,選ばれるはずだったプレーヤーは選考に漏れた。この衝動的な決断(今週,ワトソンはことあるごとに,「直感」で決断をしたと言及している)はほぼ即座に,シンプソンがババ・ワトソンとライダーカップの最初のマッチに飛び出したときに,期待はずれに終わった。キャプテンが自分の選択を正当化するためのだと勘ぐらない方が難しい戦略。そして,崩壊。シンプソンはひとつもバーディーをとれなかったし,そして彼がすべてのショットの前で5回も6回も素振りをし始めたときに,事態はさらに悪化した。ババは最高のプレーをできず,ジャスティン・ローズとヘンリク・ステンソンは彼らを5&4で吹き飛ばした。惨めなパフォーマンスのあと,日曜日までシンプソンに出番がなかったことは,何の疑問も生まれなかった。

ワトソンは,2012年のライダーカップでアメリカのスタートなった,ブラッドリーとミケルソンともうまくいかなかった。ふたりはエキサイティングな18ホールの試合でロリー・マキロイとセルジオ・ガルシアに1UPで勝利,そしてフィルは午後のフォーサムでもプレーさせてほしいと,ワトソンを説得した。これはキャプテンがチームに伝えたこと,つまり,午後のペアリングは午前のプレー次第で決まるということに反した。もし本当にそうであれば,ライダーカップの伝説イアン・ポールターと地元の英雄スティーブン・ギャラハーの組を5&4で破ったルーキーコンビ,ジョーダン・スピースとパトリック・リードにプレーをさせていたはずだ。午前の勝利のあとで,その若いふたりはワトソンのもとへ行き,午後のマッチのティーオフはいつなのか,練習時間はあるのかをたずねた。ワトソンは彼らが午後はプレーしないことを伝えると,彼らはショックを受け,困惑し,プレーさせてほしいとうったえた。ワトソンは意見を変えず,スピースとリードは最終的にその指示に従わざるをえなかった。しかしふたりは,ワトソンに対してもメディアに対しても,自らの不満を隠そうとはしなかった。

ミケルソンが午後のマッチで疲弊し,そしてブラッドリーとの組でデュビソン/マクドウェル組に負けたとき,ワトソンは彼らを土曜の午前には出場させないという合理的な選択をくだした。しかし,ミケルソンが午後のフォーサムに向けて準備をしていたとき,彼は午後も同様に出場しないという驚きのメッセージを伝えられる。金曜日の時点で,フィルはブラッドリーと午後のフォーサムに出場させてもらえるよう,再びキャプテンにアピールしていたのだ。フィルはワトソンにテキストメッセージを送りもしたが,ワトソンの気持ちは動かなかった(もしかしたらフィルはウェブ・シンプソンにメッセージを送らせるべきだったかもしれない)。さらには,負けはしたが午前のフォーボールでバーディーを6つとったババ・ワトソンも,選考に漏れた。ワトソンの直感は,54ホールを終えたばかりのファウラーとウォーカーを選んだ。

午後のマッチの3番ホールまでに,ジミー・ウォーカーが疲弊していたことは明らかだった。マクドウェルの言葉によれば,その3番ホールで放ったショットは,アマチュアの標準レベルからしてもひどいものだった。マクドウェルは相手チームの中に深い疲労を感じ取り,デュビソンに近づいてシンプルなメッセージを伝えた。「僕らがどれだけ力が余ってるか,どれだけ調子がいいか,彼らに見せつけてやろう。」

デュビソンはこのアドバイスを受け入れ,そして大空爆が実行された。9番ホール終了時点で彼らは5UPとし,アメリカチームはスコットランドの午後にしおれていた。決着は14番ホールでついた。

同じ土曜日午後のセッションで,マギンリーはリー・ウェストウッドとジェイミー・ドナルドソンを先陣に据えた。ウェストウッドは,ヨーロッパのライダーカッププレーヤーの中での偉人のひとりではあるが41歳となってキャリアの終盤を迎えており,キャプテンピックで選出されたときは多くの人を驚かせた。2012年の終盤,マギンリーがキャプテンに選ばれるであろうと見られていたころ,その対抗馬はダレン・クラークだった。マギンリーは本命と見られ,クラークはマギンリーに手紙まで書いて,キャプテンの仕事には興味がないことを伝えている。クラークは2012年のライダーカップのあとに気持ちを変え,少しのあいだだけ候補となった。その後クラークは候補の座を降り,コリン・モンゴメメリーをサポートする意を宣言するとともに,マギンリーがトム・ワトソンの対抗馬として適切な器にはないと信じていることを言った。マギンリーはメジャーで勝利したことがなく,ライダーカップで3度プレーしたにすぎないと。(今となっては,この意見がいかに皮肉なものに思えようか)

モンゴメリーの理念はサポートを集めたが,ロリー・マキロイがマギンリーへの支持を表明して,その波は途絶えた。その後,ルーク・ドナルドやジャスティン・ローズ,イアン・ポールターがあいついでマギンリーへの支持の意を示した。マギンリーは職を得たが,クラークが選択肢であるとみなされていたころ,リー・ウェストウッドはクラークへの支持を明言し,クラークのキャリアが明らかにマギンリーのものより上であると比較していた。なので,キャプテンピックがなされる時が訪れたとき,そして3番目の座がルーク・ドナルドかリー・ウェストウッドかになろうかというとき,マギンリーがドナルドの忠誠心に報いてピックするであろうことは,容易に想像できた。

しかし,そうはならなかった。ウェストウッドは喜びとともに愕然と,ドナルドは動揺した。しかしマギンリーには計画があった。そしてその計画は,恨みに基いたものでもなければ,エゴやプライドに塗れたものでもなかった。マクドウェル同様,マギンリーはウェストウッドにベテランとしてのリーダーシップといった側面を期待し,ライダーカップ初出場のプレーヤーとコンビを組ませることを想像していた。歴史がその考えの支えだった。過去のカップで,ウェストウッドはニコラス・コルサーツやマーティン・カイマーといったルーキーたちとマジカルな活躍をした。

今回のルーキーは,チーム入りするまでにドラマがあった,ジェーミー・ドナルドソンだった。38歳のウェールズ出身であるドナルドソンは,ヴァルハラでの全米プロ選手権で18番ホールで寄せワンをとれなかったことにより,ライダーカップ出場権獲得に必要なポイントにわずかに届かなかった。彼はラウンド終了後にキャディールームにマギンリーに会い,取り乱した。キャプテンいわく,彼はドナルドソンにチーム入りして欲しいが,ルーキーをピックするのは難しい,そして自らのチカラで権利を獲得して欲しいと。2日後,彼らは電話で話し,マギンリーはドナルドソンの計画づくりを手伝った。ドナルドソンはチェコで開かれるヨーロピアンツアーのイベントでプレーをし,2万ドルを獲得するようにすると。マギンリーはアグレッシブに,恐れることなくプレーするようドナルドソンにアドバイスし,そしてドナルドソンはその言葉に従った。2万ドルを獲得しただけでなく,ドナルドソンはその大会で優勝したのだ。

金曜の午後に勝利を届けた,思いもよらないペアは,ザック・ジョンソンとマット・クーチャー組と対戦。ジョンソンとクーチャーは大会前のあらゆる練習ラウンドでいちども一緒にプレーしたことがなかった。ファウラーとウォーカーのように,彼らはキーガン・ブラッドリーとフィル・ミケルソンの代わりにプレーをし,そしてクーチャーは午前のマッチで素晴らしいパートナーだったババ・ワトソンの代わりに選ばれた。

ヨーロッパチームは17番ホールで勝利。「すべては,自信を持ってわれわれを再び送り出したポールのおかげだ」と,ウェストウッドは言った。午前のフォーボールでの敗戦を引き合いに出しながら,「度胸のある戦略だった」と。(注,ドナルドソン・ウェストウッドは土曜午前はフューリック/メイハンに4&3で負けている)

「われわれはフォーサムでお互いの最高のプレーを引き出した」と,ドナルドソンは言う。

キャプテンが影響を与えられる要素はいくつかあるが,しかし完全にコントロールすることはできない。3日間を通してヨーロッパチームはアメリカチームより32ストローク上回り,そしてペアリングと戦略は確かにそのギャップに影響を与えたが,どのアメリカチームのキャプテンも,マギンリーの準備とプレーヤーたちの素晴らしさを上回ることはできない。そして,例えば運のようなその他の要素は,あらゆる影響の外にある。

スピースとリードは,2日間の奮闘を通じてチームUSAの輝ける星であったが,彼らの勢いも太陽が沈むにつれて消えていった。バックナインの大半をリードしたあと,カップをなめた16番での2フィートのパットを含めた,パトリック・リードの一連のパットミスにより,彼らのリードは18番を残して1UPとなった。ワトソンとマギンリーは見つめ,ヨーロッパが最終ホールでマッチを引き分けに持ち込めば,USチームは10-6という,ほぼ逆転不可能なポイントで日曜日のシングル戦を迎えることになると理解していた。

リードとカイマーはドライバーショットをストレートに放ち,しかしスピースとローズはともにセカンドショットをグリーン右脇のバンカーに入れた。スピースのショットのあと,グリーン後ろのスタンドから半ば興奮したうめき声のようなものが聞こえた。その直後,フェアウェイでは,USチームの副キャプテンであるアンディ・ノースが両手で頭を抱え,信じられないといった様子でそれを見ていた。ボールはバンカーの後ろのヘリの下,ダウンヒルのライで,芝がクラブヘッドの軌道を阻むような位置に落ちたのだ。リードのボールはピンから離れた位置に。カイマーは,まずまずの場所から,ピンそば5フィート以内につけた。スピースのパットはミス,そしてローズがバーディーパットを放ち,ボールがカップに沈むやチームメイトに向かい,得意満面でパターをかかげた。日曜夜の暗闇がスコットランドを包む中,彼は貴重な0.5ポイントを獲得した。

日暮れのあと,トム・ワトソンはメディアルームに現われ,次の20分間を自らの決定を自己弁護するために費やした。ファウラーとウォーカーが4試合連続で出たことはもしかしてベストな案ではなかったかもしれないと自らの責任を認めながらも,ワトソンはすぐさまその焦点をプレーヤーたちに当て戻し,ウォーカーは消耗したことで彼らすべてをがっかりさせたことをほのめかした。ひとつの発言がとりわけ,そのことを象徴している。

「彼らは少し疲れていた。そして彼らはそれに対応できるものと,私は思っていたものだが,そうではなかったと私が理解できなかったことを,後悔していなくもない」

ワトソンはプレーヤーたちを盾として使っていたとしても,彼はそれまでのように,自らの直感に従っているように見えた。「直感」がすべてに勝る。そして,ワトソンの一方的なふるまいが,彼のストイックでよそよそしい人柄と同様,チームが契約した要素であり,メダイナでの崩壊のあとで「もろい」USチームが求めていたものだ,という人もいるだろうが,Ted Bishop や他の PGA of America の誰かが,ワトソンがチームとのあいだにおいた距離のほどを予測していたとは,想像しがたい。プレーヤーの多くは,ワトソンの決断の裏にあるロジックを理解していたようには見えなかった。というのも,彼らが後に言ったように,ワトソンはプレーヤーたちを囲いの中に招き入れることを渋っていたので。

「それについての私の判断について疑問を投げかけるのはけっこう」と,ワトソンは言う。「それは問題ない。だけど,話を戻そう,私はそのときにできた最高の決断をくだした。副キャプテンや直感の助けを借りてね。それが,キャプテンとしての私に彼らが持ち込んでくれたものであり,それらのベストな決断をくだすためのものだった」

しかしまた,ワトソンは,キャプテンシーとはひとえにある内部の勇ましい精神に基いて判断をくだすことを意味しているようにも聞こえる。3日間の張り裂けんばかりのプレッシャーと情熱うずまく騒動に備えて完璧な準備を行なう2年間のマラソンというよりは,ジョン・ウェインがニッカボッカを履くかのように。ワトソンが記者会見の場やソーシャルメディアで手厳しく批判されるのも,不思議ではなかった。とうのも,彼は,現代のライダーカップに何が必要か,あるいはどのような準備が必要かについて,ほとんど分かっていないようだったから。

ポール・マギンリーは,自分の「直観」に頼る必要がなかった。彼がプレーヤーたちを送り出すたびに,彼はコースに飛び出して,副キャプテンたちと絶え間なくコミュニケーションをとり,ライダーカップが開催されるまでに熱心に収集した情報にコースからやってくる新たなデータを混ぜ合わせ,それに基づいて次にとる手立てについて構想をめぐらした。ワトソンとは違い,ヨーロッパのプレーヤーたちにチアリーダーが必要ではないことをマギンリーは知っていた,そしていずれにしろ,それが必要であれば各チームに副キャプテンがいたのだ。彼は週を通じて,さかのぼること2002年のライダーカップ以来ヨーロッパのライダーカップチームに定められ用いられてきた「テンプレート」について語っていた。(2002年のキャプテンはサム・トランス,彼が今回副キャプテンをつとめたのは偶然ではない)

水曜日と木曜日,私はそのテンプレートについて同僚と冗談を交わした,それを『ザ・シークレット』のような形而上的ないかさまになぞらえながら。土曜日の夕方までに,情勢がはっきりするにつれて,私はそれを本物だと思った(メインゲストスピーカーであった,マンチェスター・ユナイテッドのマネージャー,サー・アレックス・ファーガソンでさえ,ホームのファンに支えられた勝利の歴史を持つものとして選ばれたのだ)。のちに,私はより診療な結論に至った。テンプレートはキームを構築するのには適した方法だが,それを実行するには人間のエネルギーと知性と属人的な洞察を要する。マギンリーはその男であり,さらに,将来のキャプテンたちがそれを満たすのには非常に苦労するであろうスタンダードを設けたカリスマCEOだった。

マギンリーのテンプレートは,自己満足を配し・楽しみ・波状攻撃をするというシンプルなテーマの深さということではなく,彼の計画の包括的な性質といった点で,注目に値する。これは,どのようなディテールもないがしろにしない男であり,自身の計画のごく小さな側面でさえも巧みに構築する男であり,集団心理の状態を盛り上げる男であった。そこには,モチベーションを高めるスピーチやビデオ,さらには押し広げてチームルームの壁に飾られたイメージ,「情熱は過去をかたちづくり,立ち居振る舞いが未来を決める」と言った言葉まで含まれる。マギンリーはスマートであるがゆえ,USチームを過小評価するようなことはなかった。そして,午前のセッションのように,チームが困難な状況を迎えるようなときがあることも理解していた。

「とりわけ私の心に響いたのは,われわれのチームルームのすぐ外にあるものだった」と,マギンリーは説明する。「それはとても大きなもので,たぶん2mx3mぐらいの大きさだった。それは海に広がる嵐の中に,ヨーロッパの岩があるイメージだった。その下にあるメッセージは,“われわれは,嵐が訪れたときには岩になる”」

マギンリーの手はヨーロッパのそれぞれの勝利のうしろにあり,ワトソンの影はすべてのアメリカの失敗を暗くする。マギンリーはダイナミックな柔軟性を可能にする計画をもとに行動し,一方でワトソンはほとんど最初から混乱していた。それぞれの決断がいかに次に影響をおよぼすかを知ればしるほど,そしていかにキャプテンの枠組みがチームに影響を与えるかを知れば知るほど,もともとの疑問に対する答えに近づいてくる。そう,キャプテンは結果に対して甚大な影響を与え,そして,ヨーロッパが過去10回のライダーカップのうち8回を制しているのは偶然でもなんでもないことを。

土曜日の記者会見が終わるにつれて,ワトソンは,10-6から逆転で勝利した過去の2チームの例を引き合いに出した。1999年ブルックリンでのUSチームであり,そして2年前のヨーロッパチーム。彼はそれがまた起こりうることを信じていると述べたが,彼のエネルギーは波打っていなかった。彼は疲れているように見えたし,そう聞こえた。私が思うに,そしてそう願うが,彼は彼自身の言葉を信じてはいなかった。

1日後,16.5-11.5の大敗という現実を目の当たりにし,ワトソンは同じ席に座り,6つ離れた席から彼のキャプテンシーについて攻め立てたフィル・ミケルソンの言葉を耳にし,ぎこちない笑みを浮かべていた。2008年のヴァルハラでは何がうまくいったかを訊かれ,ミケルソンはあからさまに,プレーヤーはそれぞれ研究され,そしてエイジンガーは「本当のゲームプラン」を開発したと答えた。次のレポーターがこれをワトソンの「残忍な破壊」と呼んだとき,ミケルソンは気持ち半ばにそれを否定した。そのような資質がワトソンのもとにあったかどうかを訊かれたとき,ミケルソンの答えは曖昧さを欠いていた。

「そうだな…」と彼は答え始めた。どれだけ正直に答えるべきかを決めながら,言葉を引き出して,意味ありげに言葉を区切りながら。「いやいや,ここにいる誰も,何の決定に関わらなかったんだ。だから,NOだね」

質問されたワトソンは,それは意見の相違のせいにしたが,部屋には緊張感が走った。ミケルソンに次いで,ハンター・メイハンが微笑まないようにつとめていた。驚きから生まれる笑みのようなもの,チームメイトがこのような公共の場で煽るような事をいったことに驚きを受けて,一方でキーガン・ブラッドリーは顔を覆っていた。そこから自体はさらにおかしなことになる。私が,フィルとワトソンとのやりとりを「堂々巡り」といってフューリックの意見を尋ねたとき,ミケルソンはふたたび割って入ってきた。「あなたの質問の前提がはっきり伸べられたとは思わない。これが堂々巡りであったとは思わないよ」。

かすかなジャブ,そして前にあった発言は,ワトソンがプレーヤーたちを失ったことを明確に示していた。

日曜日,シングルスマッチが始まったあと,キャプテンが与えられる影響はほとんどなくなっていった。もはや戦略などはない。いいゴルフをすることこそが,究極の目的だ縛りから解き放たれ,USチームはついにいきいきとプレーをし,スコアボードは赤い色に染まっていった。そのとき,観衆の中に沸き起こった不安を感じることができたし,奇跡が再現されるのではないかという予感がおこった瞬間もあった。午後2時8分,スコアを見て,もしすべてのマッチがこのままのポイントのまま終わったなら,結果は14-14に終わることを認識した。それでもまだヨーロッパチームはカップを保持できるが,USチームはいまにもリードをしようとしていた。

しかし,マギンリーがキャプテンになる前から日曜日のシングルスマッチの先陣として思い描いていたグラハム・マクドウェルが,ジョーダン・スピースに早々につけられていた3ホールのリードを逆転し,アメリカの若武者の勢いはしぼみ,2&1で敗れた。マギンリーのキャプテンシーを2年前から確信していたマキロイは,最初の6ホールで6アンダーというスタートを切り,最終的にリッキー・ファウラーを5&4で粉砕した。午後3時までにUSチームの望みが薄れていくころ,誰がとどめの一打を放つのかだけが問題になった。果たしてそれはジェイミー・ドナルドソン。15番ホールでのウェッジショットは,ホールまで1フィートのところに止まった。グリーンに歩み寄り,キーガン・ブラッドリーはそのボールを確認し,帽子をとった。そして,地元の観客からの熱い歓声。

荒らしが訪れ,そして岩は生き延びた。

おまけ

ちなみに,もともと3番目のピックとして挙がっていたのは,ウェブ・シンプソンじゃなくてビル・ハースだったそうです。

Bubba Watson - Golf